「船玉」

既に7月のエントリーであるが、広坂さん曰く、


例えば、船幽霊と呼ばれる妖怪があって、海難事故による死者の亡霊だと説明されることもあるが、これは海坊主や磯女と同じような海の精霊のなす怪異であって、これを「船幽霊」と名付けたのは、その出没の有様が幽霊のように唐突であることから連想されたのであろう。名前から直接に説明するのであれば、それは字義通り、船舶の幽霊でなければならず、水死者の霊とするのはおかしい。事実、「船幽霊」は分布に地域性のある名称であり、同じ怪異を「船魂」と呼ぶ地域もあって、こちらの方が原義に近いのだろうと思う。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100718/1279460763
「船幽霊」と「船魂」(或いは「船玉」若しくは「船霊」)が同じものなのかどうか。
日本船主協会」のサイトに曰く、

江戸時代から明治時代初期の和船には必ず船魂(ふなだま)様と呼ばれる神様が祭られていた。神様の居場所は帆柱を支える土台の筒(つつ)という部分。ここに縦1寸5分(約5.7cm)、横1寸2分(約3.6cm)の穴を2つ開け、夫婦雛、かもじ(髪結用のヘアピース)、麻、五穀、さいころ2個、銅銭12文を、紙に包んで水引をかけて納めたものがご神体だ。
 この不思議な品目の組み合わせの意味は不明だが、霊験はあらたかだったようだ。そのご利益は、海象や気象の変化、海難の危険などを予知してくれること。船魂様はこうした予知情報を、船上でかすかに聞える「リンリン」という鈴虫の鳴くような音で知らせてくれる。
 これを「船魂様がいさむ」あるいは「船魂様がしげる」といい、激しく鳴れば凶兆、優しく鳴れば吉兆、つまり船魂様のご機嫌がいいと解釈された。また船魂様は清潔好きで、ご神体を納めた部分に汚水などが掛かると、とたんに機嫌を損ねて激しく鳴りだしたという。
 この船魂様がいさむ音は誰にでも聞えるわけではなく、また常に聞えるわけでもないが、船頭には必ず聞え、その鳴り方の解釈も船頭だけができたといわれる。
 迷信と言ってしまえば簡単だが、廻船乗りから漁船乗りまで、かつて日本の船乗りに広く受入れられてきたこの超自然のナビゲーターが、危険の多い航海に向かう人々に大きな安心感を与えていたことも事実だろう。
 しかし明治期に入り、廻船や漁船が徐々に動力船に変わるにつれて、この船魂信仰も衰退していった。動力船の騒々しい機関音の中ではもはや船魂様のいさむ音も聞えるはずがなく、その役割は気象通報や海図、灯台などの近代的なシステムに受け継がれていったのである。
http://www.jsanet.or.jp/seminar/text/seminar_180.html
また、岩尾龍太郎『江戸時代のロビンソン』*1では、尾張国半田の船頭・重吉の話を国学者・池田寛親が聞き書きした『船長日記』*2から、

船玉とハ船ぬし也。帆柱を建る筒の下へ納め置事也。紙雛一対、其船主の妻の髪の毛少し、双六の賽二ツ、此三品を納メ置を船玉とハイふ也。難船有時にハ必ず此船玉去ル也。難船したる船を見るに、必ず船玉ハなきもの也。
という箇所が引用されている(pp.129-130)。ここで重要なのは、船が難破するときには「船玉」は船を去ってしまうということ。つまり、その時、船は死ぬのだと言えるだろう。また、「船玉」は男のときもあれば女のときもあったようだ。重吉が乗った「督乗丸」の場合は男だった;

戌の時(午後八時)斗になりて、しきりに眠を催し、打ちころぶ斗に、ねぶくなり来るよ、と思ふ程に、誰共しらず、人二人来り、重吉の後ろに立をみれバ、二人ともに、きれいなる僧にて、装束ハ白きひたたれ〔直垂〕やうのものを着、えぼしをかぶりたまへり。重吉にしめしての給ふにハ、国より助舟出べし。其船にかならずせきこみて乗べからずと、告給ふと見て、夢覚たり。重吉、不審に思ひ、いろいろ考見て、是ハ船玉の去給ふなからんかと、力を落し、打なげく程に、ともし火二ツ消えたり。(p.224に引用)
博多・「唐泊の孫太郎」(孫七)の乗った「伊勢丸」の場合は女だった。『筑前唐泊孫七物語』では、

水夫弥吉と云者、不思議の夢を見る。其姿、内裏きさ妃〔后〕の如く十二一重を召されたり御方、堂の間、神棚より立出給ひ、我ハ小淵の湊に待べしと宣ひ、岡の方へ飛びさり給ふ。異香四方に薫じて、夢ハ醒にけり。
と語られる(p.175)。
江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚 (新潮文庫)

江戸時代のロビンソン―七つの漂流譚 (新潮文庫)

魂が船体から抜けて船は死ぬ。ただ、死の対極である船の誕生、つまり造船を考えてみなければ、結論は出せないだろう。船の擬人化ということだと、日本では船に〜丸と名づけられるということはどうなのだろうか。〜丸は人名(幼名)にも用いられる。また、琉球王国では、造船のプロセスが鳥の卵の孵化に喩えられていたということだったが(高良倉吉『琉球王国』)。
琉球王国 (岩波新書)

琉球王国 (岩波新書)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100916/1284660360

*2:「船長」は「ふなおさ」と訓むべし。