ミニマムな秘密結社など

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120207/1328623686に対して、


nessko秘密結社までいかなくても、仲間内の集まりみたいなのはどこでもいろいろあるよね。/広範囲に誤解されてるということは、フリーメーソンというのは娯楽映画や小説でもよく出てくるということなのか。語呂がいいし。 2012/02/08
http://b.hatena.ne.jp/nessko/20120208#bookmark-80010665
そういえば、私が「フリーメイソン」という言葉を知ったのは五木寛之の『狼のブルース』*1という小説を読んだときだった。ところで、恋愛こそ最小規模の「秘密結社」だよね。ということで、2月14日は大いに「秘密結社」してください。Happy St. Valentine's Day! http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120209/1328811642に対して、

osaan*2 2012/02/10 17:05
日本では昔「傷痍軍人」という人たちがいましたね。
幼い頃、観光地で見かけてなけなしのこずかいをあげた記憶があります。
そしてそのあと、「軍人」から少し離れると、母と祖母が「あんな若いのに戦争に行ったわけがない」とぶつぶつ言い出して少し嫌な気持ちになりました。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120209/1328811642#c1328861142
以前にも「傷痍軍人」については言及しているのでした*3。そのときにいただいたコメントにもあったのですが、「傷痍軍人」が存在したのは1980年代まででしょうか。また、「傷痍軍人」というのはすぐれてポスト・コロニアルな問題であったということは再度指摘しておきたいとは思います。
さて、薛涌「中世紀欧洲城市的乞児」(『書城』2012年1月号、pp.11-17)という文章を読む。Nicholas Terpstra*4という人の中世末期からルネッサンス期にかけての伊太利のフィレンツェボローニャにおける慈善事業と「乞児」の研究を紹介している。当時は乞食という行為の宗教性が認められており、孤児院の中には孤児たちに葬儀などの宗教儀礼の手伝いをさせるほか、集団で乞食をさせるところもあった。それから、孤児院というのは伊太利などのカトリック圏における資本主義、工業化の起源としても重要な意味を持っていたようだ。特にフィレンツェなどでは、本格的なマニュファクチャーとして機能していた孤児院が少なくなかった。現代の視点からすれば、職業技能訓練ということで賞賛される一方で、児童労働を搾取するスウェット・ショップとして糾弾されることになる? 
因みに、http://utoronto.academia.edu/NicholasTerpstra/PapersからNicholas Terpstra氏の論文がダウンロードできる。