明覚寺覚書

デイリー新潮編集部「霊感商法じゃなくて霊視商法で解散命令が出た明覚寺とは 集めたカネは120億円以上」https://news.yahoo.co.jp/articles/12ee1c9be71b6ba3b22f984e6bb452c754b06450


宗教法人法に基づいて「解散命令」を受けた団体はオウム真理教と明覚寺しかない。
その「明覚寺」についての基礎知識。


一方、2例目の解散となった明覚寺はどんな宗教団体だったのか。

「創設者の西川義俊は、元々製薬会社に勤務していた人物です」

 と解説するのは、宗教ジャーナリストの小川寛大氏*1

「その後独立して避妊具や健康食品の訪問販売を始めますが1983年、千葉県野田市真言密教を信奉する宗教団体をつくり、水子地蔵の販売を始めます」

 1986年、西川は真言宗醍醐派で僧籍を取得。87年、宗教法人「本覚寺」を設立して、霊視商法を始めた。92年3月、休眠状態だった高野山明覚寺を再興、これを本堂として、全国各地に系列の寺を次々に開設した。

「霊視商法の被害者の大半は、『水子の霊がとりついているから、孫が登校拒否になる』『先祖に変死の霊を感じます。このままでは子供さんが病気になりますよ』と脅された女性でした。お金を出さないと地獄に落ちますよ、と脅迫して金をせしめる。宗教団体というより、完全な詐欺集団でしたね」

 供養料は、最低で1回65万円。多くて数百万円にも及んだ。統一教会霊感商法とよく似ている気もするが……。

「西川は、系列寺の僧侶に、霊能力の認定書を作成して配布していました。また供養料を騙し取る細かい手口を示した複数のマニュアルも用意して金集めを指導し、ノルマも課していたそうです」


明覚寺の系列寺は、全国で27カ所あり、供養料として集めた金は約120億円以上にも達した。

 1995年10月、明覚寺系列の満願寺名古屋市)に対して、愛知県警が強制捜査に着手した。96年3月までに僧侶9人と最高幹部の西川ら2人を逮捕。11人は詐欺罪で起訴され、99年7月、名古屋地裁で8人の有罪が確定したため、同年12月、文化庁和歌山地裁に明覚寺の解散命令の請求を行った。2002年1月、和歌山地裁は解散命令を出した。そして03年4月、最高裁で西川は懲役6年の実刑が確定した。

西川を初めとした幹部たちは既にシャバにいることになる。因みに、「明覚寺」が集めた120億というのは統一協会が「霊感商法」で集めた金額の約10%である。
Wikipediaでは「明覚寺」という独立の項は立てられていない。「霊感商法」という項で、統一協会とともにそのメジャーな事例として記述されている*2

1984年、後に明覚寺の管長となる男性が千葉県野田市水子菩薩を扱う訪問販売会社を設立。地元の曹洞宗の寺と協力して販売していた男性が、1987年に醍醐寺の末寺として茨城県大子町に1987年に宗教法人「本覚寺」を設立し、関東一帯にそのグループを展開した。1988年に真言宗醍醐派を離脱し独立の寺として霊視鑑定を行っていたが、消費者センターに苦情が寄せられて詐欺商法だとして損害賠償請求が次々と起こったため、一時的に活動を中止した。その後、休眠状態にあった和歌山県高野山高野町)にある「明覚寺」を買収し、関西地区で同様の活動を再開したが、こちらでも損害賠償請求が多数起こった。愛知県警は明覚寺系列の満願寺名古屋市)の僧侶らを摘発した[31]。1999年12月16日に、文化庁は「組織ぐるみの違法性が認められる」として和歌山地方裁判所に宗教法人明覚寺に対する解散命令を請求し、和歌山地裁は2002年1月24日に解散命令を出した。明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった。

新聞のチラシや信者が「護符」と称して配るチラシなどで格安または無料相談などで人を集め、霊視鑑定をした後「水子の霊が憑いている」「このままでは不幸になる。」と言うのは「霊感商法」と同じである。

チラシには「相談料(お布施)3000円」などと書かれてある。最初は「入信教師」と呼ばれる僧侶が「鬼業即知法」と呼ばれる、姓名判断による相談者の因縁の鑑定を行い、供養料を要求し、3日間の「浄霊修法会」に参加させるように説得する。次に「導師」と呼ばれる人物が相談者に書かせた家系図をもとに因縁の話を聞かせ、紙に書いたインクの文字の滲み具合で供養が必要な霊を特定するという「流水灌頂」を行い、100万円単位の供養料を要求。その後も寺に通わせて住職が個人面接を行い、更なる霊の供養のための供養料を要求する。供養料の多額さに躊躇する相談者に対しては執拗に長時間説得され、借金をしてでも払うように要求されたという。供養料以外にも霊視商法のチラシを「護符」だとして買わされ、「護符修行」だとして戸別配布することに動員された者もいるという。

明覚寺の管長は経験のある僧侶にトークのマニュアルを作らせ、模擬相談の研修が行なわれていたという。また、各末寺や各僧侶に対し、入信者数や供養料などの所謂「ノルマ」を課しており、その成績の順位を発表し、それに基づく位階に応じた給与が支払われていたという。