「退廃文化」とか

宮崎留美子「向坂逸郎氏とセクシュアルマイノリティhttp://miyazakirumiko.jp/Essey041.htm


かつて黒川滋氏が


愛国心教育は、トンデモ理論で実施されている。そもそも愛国心教育を議論するときには、公教育にとって必要なのか、意味があるのか、という視点から行われるべきだろう。しかし、今日愛国心の必要性が語られているのは規範性の確立だ。コンビニの前でべた座りしている若者や所かまわず携帯電話を使う若者、子どもたちの生活態度や、いじめなどの人権侵害への特効薬のように「規範意識」という言葉を経由して必要性が語られている。愛国心が規範性につながるのか、規範性がいじめをなくすのか、そんなもんではないだろう。こんなこと言ってはなんだが、10代で日の丸と特攻服の大好きな若者が、駅前で座り込んでたばこ吸っているではないか。

かつて社会党最左派の教祖・向坂逸郎というおじいさんが、ゲイの東郷健に「君も社会主義になればゲイも直る(科学的な社会になりゲイの原因も科学的に究明されて治療ができるという意)」と暴言を吐いて問題になったが、それに近い暴論だと思う。愛国心って、売薬のようなものなのだろうか。

http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2006/11/1114_5a71.html

と書いていた*1。その文献的根拠。東郷健氏の著書からの長い引用あり。また、黒川氏のエントリーを引用したときに、「こういう「暴言」は旧左翼でハードコアなスターリン主義者である向坂逸郎でなくても、取り敢えずは新左翼に属する、多分フーコーだって読んでいたであろう菅孝行も、それも1980年代になって! していたのを読んだことはある」と添え書きしたのだが、菅孝行の「暴言」は『感性からの自由を求めて』という本においてだということを思い出した。さて、宮崎さんは

社会党は、労働者の立場にたち、弱者の立場にたってものを言っていく政党であったと思っている。しかし、しょせんは人間の組織である。何十年も前のその当時、ほとんど多くの人が、侮蔑し差別していたゲイ(東郷さんの言葉でいえば"ホモ")やレズビアンに対しての見方は、社会主義者といえども偏見から自由ではありえなかった。いや、逆に、「環境が人間の思想をつくる」という唯物論機械的に適用する習性があったがゆえに、同性愛を資本主義という環境が生んだ退廃的な文化だとみなし、むしろ、攻撃の対象にすらしてしまうという過ちを犯していたともいえる。「ソビエト共産主義になれば、病気はなおる」と述べていたように、社会主義になれば、資本主義の退廃文化である同性愛は消滅すると考えていたのだろう。この点では、保守的なイデオローグより、もっと大きな過ちを犯していたといえるかもしれない。
という。また、「明治生まれで、性のことではマジョリティに属していた彼に、ゲイのことを理解してもらうのは、どだい無理だったのだと思う」とも。たしかに。だから、向坂逸郎よりも新左翼菅孝行の方にショックを覚えたのだ。
協会派がその頃所謂〈文化〉問題についてどんな言及をしていたのかわからないが、1970年代には(私見によれば)日本共産党系の「退廃文化」は溢れていた。それは私が松田政男氏などの左翼的な映画批評家の文章から左翼的言説の世界に入っていったからであろう。共産党村上龍への攻撃*2もその一環だったのだろう。
2つの問題があるように思われる。先ず、(超広い意味での)〈疎外論〉という物語の問題。歴史的或いは理念的に人類は〈お花畑〉に暮らしていたが、内的或いは外的な〈悪〉によって〈お花畑〉を追放されたが、その〈お花畑〉に帰還を果たさなければならないという物語。それは、〈追放〉の理由であり帰結である〈悪〉や〈穢れ〉を一掃しなければならないという〈お掃除史観〉に結びつく。その際、〈悪〉や〈穢れ〉と見なされたものがどのような扱いを受けるのかは想像に難くないだろう。
それから、左翼が〈ヴィクトリア朝〉的な世界観を共有しているのではないかということ。ヴィクトリア朝は一方における神経質な禁欲主義と他方におけるポルノと売春に溢れた世界という特性を有するが*3、それだけではない。酒井隆史氏などによれば、異性愛/同性愛というカテゴリーが正常/異常と重なる仕方で科学的に確立されたのはヴィクトリア朝だった。それまでは同性愛的な振る舞いは勿論あったけれど、同性愛者というステイタス(アイデンティティ)は存在しなかったのだ。
ところで、右の人たちによってプロデュースされ、ロング・ラン中の「日教組主演のB級ホラー映画」*4も基本的なプロットを、左翼的な「退廃文化」批判と共有するといえる。
以下、ランダムなメモ。
日本共産党と同性愛の抑圧に関しては、例えば井田真木子『もうひとつの青春』とか。
もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

もうひとつの青春―同性愛者たち (文春文庫)

それから、社会主義協会の名誉のために言えば、この向坂発言に対する〈自己批判〉的な論文が『社会主義』に掲載されたという情報がある。