相談の問題

時事通信の記事;


同性愛暴露され自殺」=両親が一橋大と同級生提訴−東京地裁


 同性愛者であることを同級生に暴露された後、心身に不調を来してキャンパス内で昨年自殺した一橋大法科大学院の男子学生=当時(25)=の両親が、「一方的な暴露や不十分な対応が自殺の原因」として、同級生と同大に計300万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が5日、東京地裁(松村徹裁判長)で開かれた。同級生と大学側は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。
 訴状によると、男子学生は昨年4月、同級生に同性愛者だと打ち明けた上で、恋愛感情を持っていると告白した。同級生は「気持ちには応じられないが友人関係は続ける」と答えたが、その後同級生10人でつくる無料通信アプリ「LINE(ライン)」のグループに、「お前がゲイであることを隠しておくのムリだ。ゴメン」と投稿した。
 ショックを受けた男子学生は心療内科を受診し、大学のハラスメント相談室に連絡。昨年8月、授業中にパニック発作を起こして保健センターを訪れた後、校舎6階のベランダから転落死した。(2016/08/05-18:42)
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016080500795&g=soc

この記事を読んで、「同級生」は如何なる事情があるにせよ、「自殺」に関して何らかの〈責め〉を負うべきであり、その〈責め〉の表現が「損害賠償」ということになるのだろうと思った。しかし、何故大学側が訴えられなくてはいけないのかはわからなかった。これは学生同士のプライヴェートな関係において起こったことであり、昨今よく報じられる〈パワハラ〉だの〈アカハラ*1だののように、大学側の教職員が積極的に関与しているということもない。



渡辺一樹*2「「ゲイだ」とばらされ苦悩の末の死 学生遺族が一橋大と同級生を提訴」https://www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university


或る人から薦められて読んだ。曰く、


遺族は同級生と大学を提訴、合わせて300万円の損害賠償を求めている。原告側は大学の責任について、次のように主張している。

今回のような「アウティング」が起きたのは、同性愛についての説明や、セクハラを防ぐ取り組みを大学が怠ったせいだ。さらに、Zくんと顔を合わせれば、Aくんがパニック発作を起こす可能性があると認識していたのに、それを防ぐための取り組みをせず、転落事故を招いた。

一橋大学側は裁判で、「大学の対応に問題はなかった。個別の事故は防げない」と主張しているという。

この「主張」以外にも、この記事には大学側の対応の誤りというべきことが幾つか出てくる。
「遺族」のコメントから;

大学の対応については、こう非難した。

「同性愛者、うつ病パニック発作についての知識・理解が全くなく、模擬裁判の欠席は前例がない、卒業できないかもしれない、などとプレッシャーをかけました」

「クラス替え、留年の相談にも、真剣に対応してくれませんでした。亡くなった後の対応も、事実を隠そうとしているようで、誠意が感じられませんでした。一橋大学のことも許せません」


この裁判に、遺族を駆り立てた理由の一つが「説明がない」ということだ。

大学に詳しい事情説明を求めたが、実現していない。同級生たちから事情を聞きたい、という求めも「司法試験で忙しいので」と断られた。Zくんをはじめ、事情を知る同級生たちからは、連絡はないという。

いちばんあからさまな誤りは、「相談」に対して大学側が頓珍漢なアドヴァイスをしてしまったということだろう;

大学のハラスメント相談室に行き、教授や職員、保健センターにも相談した。だが、大学側は「性同一性障害」を専門とするクリニックへの受診を勧めてきた。

性同一性障害は、自分の性別に違和感がある人が、戸籍を変えたいといった場面で使われる概念。同性の人を好きになる「同性愛」とは全く別のものだ。

南弁護士*3はこれを「同性愛に無理解な対応」だと批判する。

「大学の対応をみていると、まるでAくんが『同性愛者であることを気に病んで』自殺したかのようです。しかし、Aくんは、自分が同性愛者だということは受け入れていました。同性愛を秘密にしていたのは、同性愛者への差別・偏見がある社会を冷静に見つめていたからです」

「Aくんは、『男が男を好きになるのがおかしいんだからしかたない』といわんばかりの対応に、苦しめられていたのです」

そもそも恋愛というか、恋愛というプロセスにおける一つの特権的な段階であるとされる告白という儀式は、私は私を欲望するあなたを欲望すると同時にあなたはあなたを欲望する私を欲望するという或る種のダブル・コンティンジェンシーの克服が要請されるわけだが、それは性的指向性の一致という暗黙の前提の上に乗っかっているわけだ。
村上春樹スプートニクの恋人*4の「ミュウ」曰く、

(前略)わたしの心がどれだけそう感じても、私の身体は彼女を拒否していた。それはすみれを受け入れようとはしなかった。わたしの身体の中で興奮しているのは心臓と頭だけで、あとの部分は石のかたまりのようにかたく乾いていた、悲しいけれど、どうしようもないことだったのよ。もちろんすみれにもそれはわかった。すみれの身体は熱く火照って、柔らかく湿っていた。でもわたしはそれにこたえてあげられなかった。
(後略)(pp.177-178)
スプートニクの恋人 (講談社文庫)

スプートニクの恋人 (講談社文庫)

もっとも「ミュウ」は異性愛者というよりは、或る事件がきっかけでホモであれヘテロであれセクシュアリティそれ自体から撤退してしまったわけだけど。「14年前にあのことが起こって以来、わたしはこの世界の誰とも身体を交わらせることができないの」(p.178)。