黒歴史の内実は?

鹿島茂*1「自己を介した階級社会分析」『毎日新聞』2020年7月18日


ディディエ・エリボン『ランスへの帰郷』の書評。この本はエリボンの自伝で、タイトルにある「ランス」とは著者の故郷である仏蘭西の都市*2
著者にとって、「労働者階級」出身であることをカミングアウトすることよりも「同性愛者」であることをカミングアウトする方が「容易」だった。


すなわち、父の死後にランスに帰郷して母の思い出話を聞くうちに、同性愛者としてカミングアウトするという自分の決断は、むしろ労働者階級という出自を強く恥じてこれを隠蔽する「隠し戸棚」*3として機能していたのではないかという思いに捉えられたのである。なすべきは「階級隠蔽者」としての自己を社会学者として分析することではないのか?

(前略)アグレガシオン(大学教員免許資格)修得に失敗したエリボンは同性愛者コネクションを介してジャーナリズムの世界に入り、フーコーレヴィ=ストロースデュメジルブルデューらと知り合い、作家に転ずることに成功する。自分は「ゲイの青年なのであって、労働者の息子ではなかった」と思い込むことによって自己欺瞞を完璧にしたのだ。しかし、ランスへの帰郷とともに欺瞞は破綻。エリボンは自我再統合のために本書を書かざるをえなくなった。
鹿島氏は、

深く共感すると同時に根源的な部分で絶望的なまでに階級社会であるフランスの実態に驚くほかはない。ブルデューが果たしえなかった「自己を介した社会分析」の傑作である。
と書評を結んでいる。
「ランスの両親のもとに戻ると、いま入り込もうと試みている階層の人とは明らかに異なる彼らの態度や会話に強い違和感を覚え、出自を恥じて隠すようになったのだ」。私としては、それほどまでの「強い違和感」というのは具体的にどういうものだったのか、吐き気とか蕁麻疹といった身体的な反応を伴う「違和感」だったのかとかを知りたいと思ったのだが、それは本書を読むしかないか! 
さて、「労働者階級」たる父親は熱心な仏蘭西共産党支持者だった。「しかし、ソ連崩壊後、父たちは敵をブルジョワから移民に変えて国民戦線(FN)の支持者となる」。