小川さやか『「その日暮らし」の人類学』

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済 (光文社新書)

小川さやか『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』*1を先週読了。


はじめに


プロローグ Living for Todayの人類学に向けて
第一章 究極のLiving for Todayを探して
第二章 「仕事は仕事」の都市世界――インフォーマル経済のダイナミクス
第三章 「試しにやってみる」が切り拓く経済のダイナミズム
第四章 下からのグローバル化ともう一つの資本主義経
第五章 コピー商品/偽物商品の生産と消費にみるLiving for Today
第六章 〈借り〉を回すしくみと海賊版システム
エピローグ Living for Todayと人類社会の新たな可能性


あとがき

「エピローグ」に曰く、

しかし、人間はみなLiving for Todayである。主流派社会はLiving for Todayの世界に囲まれ、主流派社会は至るところにLiving for Todayを喚起する陥没があり、Living for Todayの輩が巣食っているのである。繰り返すが、人間はみなLiving for Todayである。いつ誰が陥没を生み出し、いつ誰が巣食う住人になるかはわからない。その不安や焦りが、主流派社会を駆動している。主流派社会はLiving for Todayを恐れている。その恐れは社会システムのためなのか、自己の実存のためなのか、それさえもわからずに恐れているのである。(p.216)
また、「はじめに」に曰く、

(前略)Living for Todayは、なんら特別な生き方ではない。あらゆる人間はみな、その日その日を生きている。それを想起していないだけだ。想起することを先延ばしにしているのだ。わたしは明日死ぬかもしれないし、明日人生が一八〇度変わるような恋に落ちるかもしれない。明日のことは誰にもわからない。まして一年先、一〇年先の未来などわからない。何かの拍子に、その日その日を生きている、Living for Todayなわたしの実感が、生々しくわたしの身体をゾワゾワっとさせる。
日本で暮らす多くの人びとは、もう長い間、その日その日を紡いでいるといった感覚とは無縁の生き方をしている。あるいは、明日どうなるかわからないといったゾワゾワを封じるために、社会全体でいまの延長線上に未来を計画的・合理的に配置し、未来のために現在を生きることが義務であるかのように生きている。安心・安全が予想可能性と強く結びつき、よりわかりやすい未来を築いていこうと制度やシステムを高度化し、将来のために身を粉にして働く。これに反する生き方は基本的に、社会不適合で「ダメな」生き方だと考えられている。主流派社会では、操作可能性は人間を測る、評価するうえで重要な指標である。扱いづらい人間とは、操作困難な「使えない」人びとである。計画性、予測可能性を基盤とする社会にとって操作可能な人間とは、予測しやすい優秀なパーツである。(pp.7-8)

人間はみなLiving for Todayであることの忘却を可能にしてきた制度やシステム、言説に綻びが出てくると、強烈な不安を抱えるようになった。いまこの時代には、息苦しさや不安の象徴として「Living for Today」が蔓延している。東日本大震災とフクシマ原発事故、その後も引きつづき地震は多発し、震災も起きている。非正規雇用や若年不安定労働層の拡大は、社会不安の象徴になった。わたしたちの暮らしはLiving for Todayだったと想起しないといけなくなった。Living for Todayへの耐性が著しく低くなっていた日本の羅針盤は不安定に激しく揺れている。行き先がわからない。絆という文字が日本中にあふれた。日本人の絆を強調し、横軸の確実性だけでも担保したい、人びとの願い。
(略)
他方で、一〇年先や二〇年先の未来が見えてしまった、ああ自分はこのまま人生を終えるのかと不安になり、唐突に「いまを生きる」実感を得たいと切望し始める人も多く出現した。はたから見ると順調な、行きつく先が予想できてしまうような生活を続けることに希望を見出せない人がいる。しかし、いまの日本社会では、その日その日を生きることを正当化することは難しい。安定した仕事をやめ、好きなことを探そうとすると、「そんな生き方をしていて将来、社会に迷惑をかけるな」と非難される。「そんな生き方をしていて、わたしに迷惑をかけるな。わたしを不安にするな」と。(pp.8-9)
本書では、最初の方で「究極のLiving for Today」として、「実際に見たり体験したりしたことのない事柄――わたしたちが「過去」や「未来」と位置づける事象や伝説・空想の世界――」(p.37)に対する徹底的な無関心を貫く、アマゾン奥地の「狩猟採集民ピタハン」の世界が紹介されるのだが(p.35ff.)、本書の中心となるのはタンザニア都市部の零細商人たちの生活や思考や感覚であり、さらにはその人たちも含むアフリカ人商人が交渉する中国の山寨業者*2の世界である。その意味で、本書は、サブタイトルにあるように、「もう一つの資本主義経済」の人類学、「インフォーマル経済」の人類学、「下からのグローバル化」の人類学という性格を持つ。さらに、第6章では、「借り」をつくること(「借り」を返済しないこと)の意味、或いは貸借と贈与の決定不能性がLiving for Todayとの関連で絞殺される。
さて、本書はかつて故山口昌男先生*3が『道化の民俗学』や『アフリカの神話的世界』等で展開していた「トリックスター」論の新しい展開でもある。
道化の民俗学 (ちくま学芸文庫)

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アフリカの神話的世界 (岩波新書 青版)

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See also


山本尚毅「『「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済』したたかさとなまぬるさの間の生き方」http://honz.jp/articles/-/43366

*1:Mentioned in http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180226/1519606525 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20180303/1520039463

*2:See eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090101/1230838693 Also Yu Hua(余華) China in Ten Words See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110109/1294580766 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140830/1409376345

China in Ten Words

China in Ten Words

*3:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070430/1177912932 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070523/1179897577 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080116/1200506920 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080825/1219599350 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090922/1253594813 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20091208/1260270282 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100116/1263614862 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100130/1264834811 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100206/1265435465 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101228/1293511035 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110204/1296794711 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110208/1297180408 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110219/1298093110 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110222/1298351689 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110226/1298700874 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110609/1307650973 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110813/1313253565 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20110924/1316802079 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120316/1331898804 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120926/1348620790 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130311/1362963510 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130313/1363141131 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130321/1363880948 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20130403/1365006904 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150104/1420390585 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20150528/1432792757 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160226/1456453149 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20160609/1465490540 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161211/1481482837