「天下主義」/「華夷之辨」(許紀霖)

黄暁峰、丁雄飛「許紀霖談新天下主義」『上海書評』2012年1月15日号、pp.2-4


社会思想史家の許紀霖氏*1へのインタヴュー。
葛兆光氏はその『宅茲中国』という著書において、日本の「京都学派」*2に接近しつつ、ベネディクト・アンダーソン流のナショナリズム論を批判して、中国において既に宋代には「一個類似現代民族国家的”中国”認同」が基本的に形成されていたと論じている。それに対して許氏曰く、


民族国家(nation-state)按照其規範的定義、是由民族共同体和政治共同体複合而成、民族共同体是自然的、包括種族、語言、宗教和歴史的共同記憶、而政治共同体則是建構的、包括主権、政治制度和明確的疆域。現代民族国家的出現與現代性密切相関、是伝統的基督教共同体、天下共同体解構之後的産物。当各種具有超験背景的共同体瓦解之後、具有世俗特徴的民族国家遂成為分化後的不同民族各自組成的終極性共同体。宋以後的中国雖然出現了類似欧洲民族国家的若干要素、但這些因素基本属於自然的民族属性、而非政治性的国家属性、在一個天下共同体尚未解体的時代、在”家国天下”(此処的国実為王朝)的序列中難以找到以絶対主権核心的現代国家。(p.2)
許氏は「中国自身概念譜系」における「天下」と「華夷之辨」は「帝国」/「民族国家」*3と機能的に等価であるという。また、「天下主義」と「華夷之辨」は一枚のコインの両面のようなものとしてあったが、どちらに重心が置かれるかは時代によって違っていたという。

宋之前従孔子到漢唐、重心落在天下主義、不太強調夷夏之分。漢唐是気呑山河的大帝国、有強大的中心吸引力、不僅”以夏変夷”、用中原文明改造蛮夷、而且”以夷変夏”、用異教的文化豊富華夏文明本身、使之変得更多元、更遼闊。(略)到了宋代、外患危機厳峻、随時有亡国(王朝顚覆)的威脅、天下主義暫時行不通、遂突出華夷之辨的另一面、更強調華夷之間的不相容性與中原文化的主体性。従元到清、這条脈絡的声音越来越響亮、到王夫之那裡産生了種族民族主義的強烈認同。晩清以後、便接上了近代的族群民族主義
但即使在宋代之後、華夷之辨依然無法李脱離天下主義而成為独立的意識形態。華夷之辨是相対的、併非絶対的存在。天下主義與華夷之辨内在浸透、相互鑲嵌。天下主義是進攻利器、華夷之辨乃防守之道。防守的終極目的、依然是要実現天下帰仁的儒家天下理想。(後略)(ibid.)
宋代以降に強化された「華夷之辨」意識は清朝末期以降の中国ナショナリズムの「重要的歴史資源」となった。例えば革命派の「反満意識」。許氏は、もし清朝漢人の王朝であったなら辛亥革命において一挙に共和制には進まず象徴天皇制のようなかたちで落ちついたのではないかともいう。またこのような「激進民族主義*41920年代以降には「反帝」の名の下で「排外性民族主義」に転化するという。ここで重要なのは「華夷之辨」が「天下主義」から切り離されて独り歩きするようになったということである―「由於儒家的天下大同理想與対世界的想象到清末民初徹底解体、於是近代的華夷之辨失去了天下主義的規約、而具有了某種封閉、保守的種族性質、往往会激発出網国排外的集体無意識」(p.2)。その一方で、「一種新天下主義」の萌芽も見られるという。近代におけるその端緒は晩清の郭嵩蝱である。郭嵩蝱は使節として英国に赴いた際に「儒家三代的天下大同理想」がヨーロッパという「蛮夷」の地で「実現」されていると感動した。「新天下主義」は「五四」の後は「世界主義」(コスモポリタニズム)に傾き、「追求全人類的普世*5文明」を志向するようになる。これは「反民族主義」にも見えるが、「借鑑全人類的文明成果建構現代民族国家」という意味での「民族主義」的側面もある(ibid.)。
「改革開放」以降の中国における「激進民族主義」(「種族民族主義」)、「新天下主義」、それに「文化民族主義」を加えた3種の「民族主義」の絡み合いについて;

以改革開放以来的中国思潮変遷為例、1980年代的民族主義是”振興中華”為核心的與世界接軌、融入全球文明的新天下主義。到1990年代初、伴随反思全盤反伝統和擁抱西化的文化激進主義、開始出現温和的文化民族主義。而到了世紀之交、以1999年中国南斯拉夫使館被炸事件為標志、無論在学界和民間、盲目排外的種族性民族主義音量逐漸放大。到近年来中国崛起、除了回帰伝統的華夷之辨之外、崇尚国家理性至上的国家主義也嶄露頭角、他們拒斥新天下主義的普世文明理想、試図譲歴史上曽経相当開放的中華文明重要新変得封閉和保守。與此相抗衡的是、温和的文化民族主義和向普世文明開放的新天下主義也在頑強地表現自己。民族主義的三分天下、各自與不同的主義結合、在当代中国思想場域正上演着一場争奪民族国家話語領導権的争覇戦。(ibid.)
「天下主義」と「華夷之辨」について、田島英一氏(『弄ばれるナショナリズム』)は「士」と「民」の区別に重ね合わせている。つまり、エリート層における「天下主義」と庶民層における「華夷之辨」或いは漢族中心主義。或いは建前としての「天下主義」と本音としての「華夷之辨」。しかし他方で、星野博美氏(『謝々!チャイニーズ』)が指摘するような庶民レヴェルにおける鷹揚な「中華思想」というのもあるわけだ*6。それから、田島氏も採り上げていたが、岳飛/秦檜問題*7も「天下主義」と「華夷之辨」の表れであるといえる。また、清朝の皇帝(特に乾隆帝)が如何に朱子学における「華夷之辨」を克服すべく努力したかについては楊念群『何処是“江南”? 清朝正統観的確立與士林精神世界的変異』*8のpp.264-278辺りを参照のこと。
弄ばれるナショナリズム―日中が見ている幻影 (朝日新書 27)

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謝々(シエシエ)!チャイニーズ (文春文庫)

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