ブッシュ孝子(メモ)

生きる哲学 (文春新書)

生きる哲学 (文春新書)

若松英輔『生きる哲学』*1第8章「感じる 神谷美恵子の静かな意思」から。


苦しみも悲しみも、きわまったとき人は、他者にそれを伝えることすらできなくなる。それほどに苦しみは深まり、悲しみは苛む。だが、苦しみを真に感じるのは、もう一つの苦しむ心である。悲しみを本当に慰め得るのもまた、悲しみである。苦しむ人間の姿を語りながら神谷*2は、『こころの旅』である女性の詩を引いた。

暗やみの中で一人枕をぬらす夜は
息をひそめて
私をよぶ無数の声に耳をすまそう
地の果てから 空の彼方から
遠い過去から ほのかな未来から
夜の闇にこだまする無言のさけび
あれはみんなお前の仲間達
暗やみを一人さまよう者達の声
沈黙に一人耐える者達の声
声も出さずに涙する者達の声
ここに記されているのはひとりの若い女性の経験でありながら、言葉は、普遍の領域を指し示している。苦しみは別なところで苦しむ者への恩寵となる。人知れず独り悲しむ者は不可視な領域で無数の人とつながっている。なぜなら、この世で悲しみを知らない者など存在しないからである。
作者はブッシュ孝子(一九四五〜一九七四)という。彼女は世に言う詩人ではなかった。その詩は、彼女の没後、教育学者でもあり詩人でもあった周郷博によって編纂され『白い木馬』として公刊され、衝撃を与えた。孝子は、旧姓を服部という。彼女は乳がんを宣告されたあと、ドイツ人ヨハネス・ブッシュと結婚し、二十八歳で亡くなる二週間前まで詩を書き続けた。(pp.155-157)
こころの旅

こころの旅

若松氏はブッシュ孝子の詩について、さらに以下のようにコメントしている;

孝子の詩は、絶望の歌ではない。光を経験した者の賛歌である。むしろ、人は苦しみ、悲しむとき、やはりどこかで苦しみ、悲しむ無数の守護者によって守られていると、彼女はいう。「声も出さずに涙する者」とあるように、悲しみの底にある者は涙の彼方で生きている。もし、これを書く彼女の姿を見ることがあったとしても、私たちはそこに涙を見なかったかもしれない。悲しみがきわまるとき、涙は涸れる。見えない涙がその頬をつたうのである。未知の他者が流した不可視な涙によって私たちは、自分の知らないところで救われているのかもしれない。(p.157)
さて、ブッシュ孝子が亡くなる半年前に生まれた「甥」の方*3が運営するサイトでは、彼女について、

ブッシュ孝子は、1945年(昭和20年)3月20日、服部一雄・和子夫妻の長女として誕生しました。


 1970年(昭和45年)、3年間のドイツ留学から一時帰国した際に、孝子は乳がんの宣告を受けます。
 絶望の淵にあった孝子を救ったのは、留学先で知り合ったドイツ人男性、ヨハネス・ブッシュでした。ヨハネスは、孝子のために来日し、1971年(昭和46年)9月26日、二人は日本で結婚をします。
 その後、1974年(昭和49年)1月27日に28歳の若さで亡くなるまで、壮絶な闘病生活を過ごすことになります。

 孝子は、1973年(昭和48年)9月9日から、詩を書き留めるようになりました。
 それは、孝子の亡くなる2週間前まで、続きました。
http://www.shiroimokuba.com/takako.htm

と記している。
また、


周郷博、服部和子「ブッシュ・孝子さんを偲ぶ 」『幼児の教育』(日本幼稚園協会)70-9、pp.30-39 http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/handle/10083/41554 http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/41554/1/19740901_012.pdf