中間?

蓮池薫小倉紀蔵「韓国の文学とその周辺」『新刊展望』766(2009年9月)、pp.6-16


その中の小倉氏の発言から;


韓国人は必ず議論しますよね。日本だとクレイマーと言われてしまうようなことが韓国では普通で、自分が納得しないものに関しては、誰に対してでも主張して解決する。それは、韓国には伝統的に家族と国家の間に位置するものがほとんどなかったことが大きいのだと思います。一番結束が強いのが家族、血縁集団。それとは別個に昔なら王朝、今は国家や政府があって、その中間にある組織や社会、たとえば日本なら会社や趣味のサークルといったものが数十年前までの韓国には基本的に存在しなかったんですね。家族や国家以外の中間層にも同時に所属しながら、その中の掟やしきたりに従うようになって、韓国社会はだいぶ変わってきたと思います。昔は会社の掟より自分の道徳性のほうが重要だった。今はだんだん浸透しつつある段階だと思いますが、それでも完全には浸透していなくて、自分が嫌だったら可視派をすぐに辞めてしまうから離職率は高い。(pp.12-13)
「伝統的に家族と国家の間に位置するものがほとんどなかった」ということは中国社会についてもいわれることがある。ただ、だからこそ、中国ではギルド(同業団体)や秘密結社が(「中間」を埋める組織として)発達した。韓国の場合は?
離職率は高い」云々というのは、日本のイエ制度が非血縁者も包含してしまうものであるのに対して、韓国(そして中国)の宗族(同族)制度が非血縁者を排除し、血縁に拘るものであることと関係しているのでは?

逆説的に、〈血縁〉が比喩化されることによって、日本社会には〈家族的〉原理が溢れていくことになる。擬似的な「家制度」としては、藝道における家元制度、仏教における本末制度などが挙げられる。これは、〈血縁〉が比喩化されず字義的なものにとどまる中国或いは韓国社会との差異のひとつといえよう。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060914/1158256541
また、see also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060503/1146669098
韓国における「血縁集団」は最近、「IMF危機」によって再活性化或いは再強化されたという側面もあるようだ(伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』、pp.230-231)。つまり、少なからぬ人が裕福な親戚にたかることによって生き延びたというか、銀行は金を貸してくれなかったけれど親戚は貸してくれた。
病としての韓国ナショナリズム (新書y)

病としての韓国ナショナリズム (新書y)

また、小倉氏は次のようにもいう;

(前略)ずっと昔は血縁集団以外の人間とは言葉を交わすこともないような社会だった。イタリアと韓国は似ていると言われますよね。イタリア人は陽気で、すぐ親しくなりそうなイメージがあるけれども、実はそうではないそうです。最初に親しく話しかけはするけれども内面には入り込ませないし、家族をたいへん大切にする。家族の中に入り込める友達になれば、心を許した友達になるというんですね。そういうところは似ていると思います。(p.13)
とも言う。伊太利の場合、地域(特に南北)の差異を考慮しなければならないとは思うが、取り敢えず?を付しておく。