ナショナリズム in 1990s(山口二郎)

危機の日本政治

危機の日本政治

かなり以前に読んだ山口二郎『危機の日本政治』(岩波書店、1999)第6章「ナショナリズムとコンフォーミズム」からメモ。
先ず、1980年代のナショナリズムは、「グローバル化の入り口に立って、経済的実力に見合った敬意や評価を得たいという素朴な自尊心に基づくナショナリズム」(p.127)。それに対して、1990年代のナショナリズムは「被害者意識に基づくナショナリズム」であり、それは「自己の弱さの裏返しとして、他者に対する攻撃性を内包している」(p.129)。少し長い引用;


九〇年代のナショナリズムの根底にある被害者意識は、自己を肯定する論理を求めると同時に、強い庇護者を求める。九〇年代の苦境は国際経済の舞台における国家間の権勢争いで自己を主張できない日本の非力さや誤りによってもたらされた。そうした被害者意識は、容易にマチズモ(格闘家のように男らしさを過度に誇示する態度)に結びつく。マッチョ的ナショナリズムの立場からは、日本が国際社会で国益を追求できないのは、日本が自ら軍事力を封印しているために半人前扱いされるからということになる。九九年一〇月、核武装を検討する必要性を説いて更迭された西村真吾前防衛政務次官は、問題となったインタビューの中で強姦というアナロジーによって国家間の関係を論じていた。これなどは、マチズモとナショナリズムの結合の典型例である。また、日本の政治家や官僚が腐敗、堕落し、国益を追求できないのは、戦後民主主義の中で個人を尊ぶ余り、国家や公共を軽んじてきたから、国家や公共に責任を負う指導者を育てられなかったからだという総括になる。
被害者意識の裏返しとして、国家を弱めてきたくびきへの恨みと、強い国家を作り出すための道具立てへの欲求が現れる。軍事面で一人前になることは、日本の国家が強い庇護者となるための第一歩ということになる。
マッチョ的ナショナリズムは、日常的な行政権力の強化を推進する原動力にもなる。その意味で、九九年の通常国会で日の丸・君が代の法制化と盗聴法、住民基本台帳法が同時に成立したのは、当然の成り行きであった。警察に盗聴の権限を与えることは、他の先進国では常識である。組織犯罪を取り締まる強い警察力にとって、盗聴は不可欠である。住民に番号をつけて各種の個人的な情報を行政が一元的に管理することは、便利なことなのだから、国民は文句を言うな。こうした理屈で権力強化型立法は推進された。政府が強力で親切な庇護者となるためには、これらの装置が必要というわけである。(pp.131-133)
ナショナリズムの逆機能について;

国家や組織の賢明さを最後に支えるのは、冷静に現実を見て、多数派の熱狂や陶酔を冷ます少数派の存在である。組織の大勢が勢いに乗って愚行を犯そうとしているとき、少数派が異論を唱えることによって、組織は正気を保つことができる。政治、行政、経済などあらゆる分野の組織において、こうした少数派の居場所を残しておくことが組織の安全保障にとってきわめて重要である。しかし、ナショナリズムの鼓吹は、それとは全く逆の効果を持つ。ナショナリズムは、国民としての同質性を強調し、国家への服従や忠誠を人々に植え付けようとする。その結果、ナショナリズムとコンフォーミズムは相携えて昂進するのである。国旗・国歌法の最大の問題は、教育を通して子供たちを権威に従順で、画一的な人間にすることである。(pp.137-138)
最後に、山口氏は、「九〇年代のナショナリズムの台頭」の2つの側面を示している。一つは、「歴史の改竄による自国の正当化という粗野なナショナリズム」(p.139)。2つ目は、「自民党政権自身のイデオロギーとしてのソフトなナショナリズム」(ibid.)。その例として挙げられるのは、小渕恵三政権下の「二一世紀日本の構想懇談会」。山口氏は、これについて、「あくまでアジアとの共存を目指したものであり、粗野なナショナリズムとは異なる」といい、「アメリカ製のグローバルスタンダードに対抗する日本の政策基準を模索したいという意図」を読み取る。しかし、それは結局のところ、「九〇年代における日本の失敗に対するフラストレーション、社会の亀裂が深まるとともにそれを隠蔽するための同質性の虚偽意識の必要など、いくつかの要因に促されてナショナリズムのパッチワークが始まった」(pp.139-140)ということにすぎないとされる。
21世紀に入って、自民党には「ソフト」ではなくハードで「粗野なナショナリズム」が浸透し、遂にはそれに乗っ取られ*1、与党としての地位も失ってしまったということになる。

山口二郎氏には、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060223/1140686238http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060307/1141693903http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060504/1146764157http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060913/1158169095http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061010/1160499009http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061121/1164082739http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070116/1168966875http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070224/1172330232http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081119/1227023221でも言及している。