
- 作者: 斯波義信
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1995/03
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http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090904/1252032047で「「伝統的に家族と国家の間に位置するものがほとんどなかった」ということは中国社会についてもいわれることがある。ただ、だからこそ、中国ではギルド(同業団体)や秘密結社が(「中間」を埋める組織として)発達した」と書いたのだが、斯波義信『華僑』pp.154-160に中国の秘密結社についての記述があることを先ずメモ。
また、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090909/1252522734に絡んで。マックス・ウェーバーの「中国の都市や商人に近代の合理性が欠けている」という評(p.209)に対して、
斯波さんのこの本を最初に読んだのは10数年前で、現在再読すれば当時よりもっと面白く読めそうな気がするが、そのような暇はあまりない。
だがウェーバーの観察は、ふたつの大きな誤解に立っていた。そのひとつは都市と農村とを極端な対立物だと割り切りすぎたこと。もうひとつはこれにからんで、明や清の中国社会ことに華中や華南のそれを自給農村から成るものと見てしまったことだ。事実はその反対で、この明清時代になると商業化の波は地方そして農村におしよせ、市とか鎮とかいう商業町が無数にゆき渡っていた。つまり農村は完結し閉ざされた社会ではなかった。一九世紀の華中、華南の大商業中心地は上海と漢口と広州、蘇州であった。行政上のランクでは上海は県、漢口は鎮なのに、それぞれの省の都を人口でも商工業でもはるかにしのいでいた。両市の人口の九割は外省人で、ウェーバーのいうように郷党ごとに細かくグループ分けされていたが、その一面で上海人、漢口人という意識をもち、市役所にあたる役割をはたして公共事業を担い、兵乱には自衛軍もつくった。(p.210)
ところで、秘密結社の末裔たる中国の「黒社会」については、元産経新聞記者の石田収氏が書いた『中国の黒社会』がある。

- 作者: 石田収
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/04
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