動機の語彙として

http://anond.hatelabo.jp/20090722011541


ブクマ・コメントでは、運良く定職に就けた人間が「負け組」をスティグマ化していてけしからんという意見が多いのだが。まあ、それも間違っているわけではないのだが、これは日本における〈動機の語彙(vocabularies of motive)〉のトレンドについての感想としても読める。
私たちの振る舞いは社会的に、つまり他者に対して晒されているが、その動機(目的或いは原因)は社会的に理解(納得)可能である必要がある。すなわち、振る舞いの動機(目的或いは原因)を説明するための社会的に共有された語彙が存在するわけだ。これはその振る舞いが是認されるかどうか以前の問題である。亭主(女房)が浮気をしたから殺しましたといえば、そうだったのねと納得してくれるかも知れないが、だからといって、許されるかどうかは別問題である。太陽が黄色かったから殺しましたでは、許す許さない以前に、さらにwhy?と突っ込みたくなるのではないか。私たちにとっては、凶悪なことが起こるよりも理由がわからないことが起こる方が脅威なのである。だからこそ、何かしら事件が発生すると、コメンテーターが出てきて、〈動機の空白〉を埋めようとする。その理解が正しいかどうかは取り敢えず問題ではなく、どんな動機であれ、〈動機の空白〉が埋められて、私たちに安心が提供されることが重要なのである。勿論、語彙にもトレンドというか流行廃りはあるわけで、現代社会において、例えば誰かが秋葉原の路上でナイフを使って次々に人を殺していったとして、怨霊が取り憑いたせいですという動機を与えても、納得してもらえる可能性はあまり高くない。霊学的な語彙よりも心理学的とか経済学的な語彙が求められるわけだ。
上の記事だけど、そこで描かれた「負け組」はキレるという振る舞いに対して、「搾取」されているという動機を与えている。これは本人がそう思い込んでいるというよりは、「搾取」されているからキレるという説明が納得可能な〈動機の語彙〉として社会的に共有されていることを、その「負け組」が確信しているということなのだろう。何故そのような語彙がトレンディになったのかということはたしかに考察に値するだろう。怨霊ならぬ左翼思想に取り憑かれた? それとともに、そうした語彙は所謂「負け組」の間に限定されているのかどうかも問う必要があろう。最近、「在日特権」という言葉が散見されるが、このような(例えば赤木智弘のように*1)マイノリティが(自分たちしがないマジョリティを犠牲にして)特権を不当に得ているという言説も「搾取」言説の1ヴァージョンであろう。上の記事を書いた人に欠けているのは自己省察なのだろうと思う。誰でもキレる。その際に、どんな〈動機の語彙〉を与えているのか。それは「搾取」という語彙とは違うのか、或いは実はけっこう似ているのか。そのことことを省察すべきなのだ。

〈動機の語彙〉といえば、C. W. Millsの”Situated Actions and Vocabularies of Motive”(American Sociological Review 5, pp.904-913, 1940)であるが、この論文は取り敢えずウェブで読める*2。但し、何故か註はカットされている。
因みに、〈動機の語彙〉にはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070807/1186451167http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080825/1219677203で言及している。