Under

アンダークラスという片仮名言葉をよく目にするようになったのは10年くらい前からだろうか。というわけで、


http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/51465297.html


英国在住の方で、実際にアンダークラス支援施設に関わっているらしい。


十代の妊娠率&出産率&中絶率が欧州一位のこの国で、若くして子を産む子供たちがなぜか今更問題視されている。というのは、彼らが普通に働いている親の子供たちではなく、アンダー・クラス(英国のマスコミは働かずして生きる階級のことを“ベネフィット(生活保護)・クラス”ではなく“アンダー・クラス”と呼ぶことに決めたようだ。ワーキング・クラスを最下層とする既存の階級よりもさらに下に位置するということで“アンダー”らしい。ある意味“ベネフィット・クラス”と呼ぶより差別的だ)の子女だからである。
「アンダー・クラス」とナカグロが付いているが、under classというと相対的に下の階級ということで、ここで問題になっているような最下層階級だと1語であるunderclassではないだろうか。ともかく引用を続ける。

まじめに働いて生きて来た人々でさえ雇用主に解雇されたりして生きて行くのが大変なこの時代に、ふざけんな。という切羽詰まった怒りがこれら“アンダー・クラス”の人々の上に集中しているのだ。

底辺託児所のある底辺生活者サポート施設にしても、“大不況が顕在化する2009年は非常に忙しくなるのではないか”と個人的には予想していたが、実際にはそうではなく、嫌がらせの電話や、塀の落書きや、昼間に乱入してきて叫び暴れる人などが増えただけだ。

大不況で“アンダー・クラス”に落ちた人々は、それ以前から“アンダー・クラス”だった人々を認めないというか、忌み嫌っているというか、自分も無職になったからといって、好況の頃から無職だった人たちのコミュニティーに加わろうとは思っていない。

そういうわけで最近は底辺生活者サポート施設も警備を強固にしたりしているのに加え、一応チャリティー団体であるために寄付が激減し資金不足に陥っている。

そして、「景気のいい時には左翼政党の政治家と一緒に写真を撮られたりして宣伝に利用された彼らが、不況になった途端に右翼政党から社会の恥部、諸悪の根源と攻撃されるのだ」と。
さて、http://en.wikipedia.org/wiki/Underclassによると、underclassというのはマルクスいうところのルンペンプロレタリアートに対応するという。また、オスカー・ルイス*1の言葉が引かれている。「アンダークラス」は、「欲求充足を延期し、未来のために計画する能力があまりなく、強い現在指向(a strong present-time orientation)」を有している。別のエントリーでは、

託児所で出た洗濯物の籠を抱えて底辺生活者サポート施設地下の洗濯場に降りて行くと、昼間っから土間の隅で男女がねちゃねちゃ粘着し合っているのが見えた。

わたしがドアを開けた音に気付いて、一対の肉体は動きを静止したが、それもほんの一瞬の間で、ごそごそとまた絡み合いを再開する。

性行為を他人に目撃されてやめるか、開き直って続行するかが、既存の階級の人間とアンダークラスの人間の違いだという説を聞いたことがあるが、そういう意味ではずず暗い洗濯場の土間で展開されていたのはまさにアンダークラスの男女の粘着であった。
http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/51516833.html

とある。
道徳的な批判というのは全く意味はない。「アカルイミライ」(黒沢清)が期待できるからこそ、即時の欲求充足を我慢して、「未来のために計画する」ことが有意味になる。「アカルイミライ」がなければ、そもそも「未来のために計画する」ことは無意味で、唯一身体的に感知できる「現在」に集中するのは理の当然だろう。してみれば、アンダークラスの人たちは、「アカルイミライ」のセールス・パーソンである左翼(右翼でもいいけど)に引きつけられることはないだろう。或いは、左翼が売りつける「アカルイミライ」の信憑性が失われたからこそ、「現在」に集中するということだろうか。
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英国の(といってもスコットランドだが)アンダークラスの映画といえば、ダニー・ボイルの『トレインスポッティング』ということになるのだろう。アーヴィン・ウェルシュの原作小説が1993年で、映画が1996年。時代設定は1990年代前半、つまりサッチャーとブレアの間ということになる。主人公のマーク・レントンは寧ろ「未来のために計画する」世界、中産階級的な世界への上昇をゴミだとして、積極的にそのキャリアからドロップ・アウトしてはみたものの、ジャンキーの泥沼に填り込んでしまったという感じであろう。彼は一応能動的にアンダークラスに填り込み、(勿論大きな代価は払ったが)能動的にアンダークラスから抜け出すことができたという点で、相対的に恵まれてはいる、ということなのだろうか。
さて、『スラムドッグ$ミリオネア*2を観た後に『トレインスポッティング』を観たのだが、ここでもTVのクイズ番組が出てきて、笑ってしまった。但し、意味は全く違う。『トレインスポッティング』ではクイズ番組は退屈な中産階級的生活の象徴であるのに対して、『スラムドッグ$ミリオネア』では主人公がのし上がるための経路であると同時に、その前に立ちはだかる大きな障壁でもある。
ダイアン曰く、「音楽も変われば、ドラッグも変わる」。イギー・ポップデヴィッド・ボウイと混同されて、「ジギー・ポップ」になっている。
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