藤岡靖洋『コルトレーン』

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

コルトレーン――ジャズの殉教者 (岩波新書)

藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』(岩波新書)を数日前に読了。
取り敢えず目次を掲げておく。


序章 怒濤の来日公演
第1章 生い立ち
第2章 三人の友*1
第3章 飛翔
第4章 驀進
第5章 決意
第6章 追求
終章 昇天


引用・参考文献 
あとがき
コルトレーン略年譜
コルトレーン関連地図

帯には「決定版評伝」とある。この藤岡さんという方は全く知らなかったのだが、慶應の史学科を卒業し、「呉服店」を経営しつつコルトレーンを研究しているという経歴に興味を持った。既に英文のコルトレーン研究書をものしているようだ(John Coltrane/A Discography and Musical BiographyThe John Coltrane Reference)。
本当に「決定版」なのかどうかはわからないけれど、ジョン・コルトレーンの40年間の生涯が、その(メソディストの牧師の孫としての)誕生から死に至るまで、家族関係も私生活も、勿論音楽的キャリアも、200頁強の新書判の本にぎゅっと濃縮されていることはたしかだ。ただ不満を言えば、ミュージシャンの伝記なのにディスコグラフィがないということか。
さて、本書全体に亙る著者の姿勢で重要なのは、ジョン・コルトレーンの音楽、そしてライフ・ヒストリーを米国の黒人(文化)史の中に位置づけているということだろう。その意味で興味深いのは第3章2節の「静かなる抵抗」。ここでは、コルトレーンの「ダカール」、「バイーヤ」、「バカイ」、「アンダーグラウンド・レイルロード」、「アラバマ」という曲の政治的な含意が簡潔に解説される。「マイルズ[・デイヴィス]とコルトレーン。この二人は、同じ一九二六年生まれということ(そして、麻薬に溺れた過去があるということ)以外は、あらゆる面において対照的である」(p.72)。著者によれば、コルトレーンとマイルズ・デイヴィスの対立は、社会的には(黒人における)南部/北部、中流階級/上流階級の対立なのだった。
序章では、1966年の日本ツアーが言及されている。コルトレーンは日本における「フリー・ジャズ」のライヴのはしりだったんだね;

山下洋輔が語る。「中村誠一が「何やってんだ!」って怒っていたのをぼくがなだめたね。でも、”フリー・ジャズ”をあそこで体得したから、ぼくは自ら”フリー” の道にハマっていったんだ。筒井康隆さんらに認められ、同じ”破壊者”(笑)として学生運動の連中にも呼んでもらって演奏したなあ。ドイツで爆発的にウケたが、ニュルンベルグの地下のクラブでは肘打ちしたら鍵盤が粉々に砕けちゃった。で、ベルリンジャズ祭では肘打ちに備えて頑丈なベヒシュタインのピアノを用意してもらったよ。さすがドイツだね」。
強烈な打鍵とアグレッシヴな音楽を展開した山下洋輔は、オーネット・コールマン、セシル・テイラーなどから大きな影響を受けていたが、初の”フリー”ライヴの洗礼がコルトレーンの来日公演であった。
ただし、コルトレーンの過激な演奏スタイルに付いていけない人も少なくなかった。事前の情報がほとんどなかったうえに、公演当日になって突然目の当たりにした激しい演奏である。苛立ちを隠せないというのは、聴衆の正直な気持ちであっただろう。結果、コンサートの評価は賛否両論まっぷたつに割れ、喧々囂々の論争がくり広げられた。(後略)(pp.25-27)
そういえば、ロバート・ワイアットはコルトレーンに捧げた”Wonder How Your Breath Can Last”という曲を歌い*2ポール・ウェラーコルトレーン夫人にしてその後継者であったアリス・コルトレーンを追悼した”Song for Alice"を作っているのだった*3
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