家族でカラオケとか

http://d.hatena.ne.jp/tada-wo/20090616/1245138703
http://d.hatena.ne.jp/tada-wo/20090618/1245313092
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090705


CXのドキュメンタリー「漂流家族 竹下家の9年間」の話。深町秋生氏曰く、「現代日本の家族の闇を描いた衝撃作」。
この作品を視てはいないので、その内容について云々することはできない。ただ、上の3本のエントリーを読んでいて、こういうルーズな人って昔からそれなりにいたのであって、あまり「バブル」とか関係ないんじゃないの、と思った。でも、合計特殊出生率が1.5を切るこの少子化のご時世で、6人も子どもを作るというのは凄いよねと思った*1。あの和歌山の林真須美一家も(もっと金持ちだったかも知れないけれど)そんなものなのでは? 後、一家でカラオケに行くシーンがあるらしいのだけれど、そこからも林真須美一家を連想したのだった。例の〈カレー事件〉の当夜に一家でカラオケに行ったということを聞いて、一家でカラオケに行くか? と変に思ったことがあった。一家でカラオケって、けっこう普通のことなの? また、「度し難い買い物中毒」というけれど、例えば中村うさぎさんが大浦洞だとしたら、こちらはせいぜい爆竹なのではないか。
ところで、上記のエントリーを読んで、色々と〈浪費〉していることはわかった。しかし、そこからその夫婦の〈趣味〉というのが伝わってこない。既に、1980年代、「バブル」時代には、消費はその〈趣味〉が問われるような段階になっていたと思う。モノが沢山あるからこそ、そのなかから何を選ぶのかというセンスというか趣味が問われる。ちょうどその頃「文化資本」というような概念が注目され始めたわけだが、「文化資本」というのは選ぶためのセンスや趣味の形成に関わる。それで、http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20090706/p1に関わるのだが、「高度成長期」と「バブル」期を一纏めにして、「物欲を充たしたりモノを消費すれば幸せになれる」時代とするのはどうかな。1980年代初期から流通し始めた〈消費社会〉論の言説は、70年代から80年代の石油ショックも絡む低成長期に、どうしてモノが売れなくなったのかという反省から生み出されたものだ。〈表現〉としての消費へ*2。その後に見られるのは、消費によって自己が測られることからの逃走。
「シロクマ」さんによれば、「物欲が充たせれば幸せ」に代わって、「バブル」崩壊以降、1990年代に登場してきたのが、「「人間関係やコミュニケーションがあれば幸せ」という神話」だという。しかし、これもそう新しいものではない筈。既に1970年代には、「コミュニケーション」なき寂しい若者のカリカチュアとして、一日、学食で昼飯を注文する以外は他人に対して言葉を発するということをせず、下宿に独り帰って、TVに対して、ただいまをいうということが語られていた。また、客観的な意味で寂しい人が増大したのは、就職や進学のために故郷を離れる人が増大した高度成長期だろう。創価学会や民青は、そのような寂しい人たちに、「人間関係やコミュニケーション」の契機と実存的な居場所を提供していたわけだ*3。また、企業組織も「婚活」の場*4だけでなく、生活の場、「人間関係やコミュニケーション」の場として機能していた筈だ。会社には部活もあれば、生徒会(労働組合)もあったし*5。他方、1980年代以降、徐々に大っぴらに語られるようになったのは、そういった「人間関係やコミュニケーション」を煩わしいもの、うざいものとして、そこから逃走したいという欲望じゃないか(勿論、そういう欲望自体は大昔からあったのだろうけど)。

*1:全員がお嬢様のようであるが、もしかして男の子が欲しくて、ひたすらお嬢様を作り続けたということ?

*2:instrumental-expressiveの区別については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080117/1200593641 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080816/1218888538 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080817/1218939934 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090226/1235674700も。

*3:See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080612/1213243483 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090115/1232007402

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090702/1246559972

*5:「人間関係やコミュニケーション」の場が会社に集中してしまうことが日本的問題として語られていた筈。