80年代前半(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140102/1388675061に対して、


nessko*1 2014/01/03 00:56
1980年代前半というのが、階級化社会へのはじまりだった、というか、一部の成り上がり階層が自分より下の人たちとの差別化を欲し、その欲望をあからさまにしはじめた時期だったように記憶しております。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140102/1388675061#c1388678186

morimori_68*2 2014/01/04 11:28
>成り上がり云々

渡辺和博の『金魂巻』をベタに受け取ればそうなりますかね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20140102/1388675061#c1388802499

渡辺和博*3の『金魂巻』て、副題が味わい深いですね。「現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造」――「表層」というのは1980年代人だったら、即座にハスミ! という連想が作動する語。「力と構造」は勿論浅田彰『構造と力』*4
構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

さて、辻井喬堤清二*5を巡っての言説;

 一般に「西武/セゾン文化」(以下セゾン文化に統一)は、 1980年代を象徴する文化、とりわけバブル景気に踊った高度消費社会を代表する文化として語られることが多いようですが、本当にそうだったのでしょうか。辻井喬(=堤清二)氏は、上野千鶴子氏との対談(『ポスト消費社会のゆくえ』)で、次のように語っています。
 感性が充分に発揮された西武百貨店のピークは、いつだったと感じておられますか、という上野氏の質問に答えて、「75年から82、3年ぐらいまでですね。日本の大衆消費社会の真っただ中でした。(…)渋谷のパルコであれば、〈裸を見るな。裸になれ。〉(75年)、百貨店であれば〈不思議、大好き。〉(81年)だとか、そういう広告を打てば打っただけの反応がそれまではありました。ところが、〈うれしいね、サッちゃん。〉(84年)あたりからキャンペーンの手応えがなくなった」と言うのです。
 この発言にしたがえば、辻井喬氏にとってのセゾン文化のピークは、バブル景気によって象徴される80年代後半の文化ではなく、70年代末から80年代初頭だったことになります。それは、バブル景気が始まる前であり、西武がまだ「セゾン」という名称を用いずに「西武流通グループ」と名乗っていた時代です。一般にセゾングループが、積極的に文化戦略を展開したとされる80年代後半は、すでにその勢いを失っていたのです。あえて言えば、80年代後半のバブル期のセゾングループの文化戦略は、それ以前に目指していたものとどこかズレてしまっていたのかもしれません。
 一般に議論されているとおり、1970年代前半に政治・経済・社会・文化を横断する大きな構造的な転換が起こりました。一般に近代主義からポスト近代主義ポストモダニズム)、情報化社会、脱産業社会、ポストフォーディズムの時代などと呼ばれる、新しい動きが出てきたのがこの時期です。この時代に、経済と文化、より細かく言えば、資本主義とアートの関係が劇的に変化しました。文化や情報などが新しい資本主義の主要な「商品」として取り込まれるのがこの時代なのです。文化やアートは自律した存在であると同時に、積極的に資本主義経済の中に(肯定的であれ、批判的であれ)かかわりをもつようになります。こうした資本主義と文化の新たな動向にいち早く対応できたことが、西武百貨店、パルコを中心とする西武流通グループを発展させることになるのです。渋谷パルコのオープンが73年。この年は、西武が渋谷に本格的に進出し始めた年ですが、マクロな視点で言えば、オイルショックを受けて、それまでの近代的な資本主義がポストモダン的(後期)資本主義に向かって再編を開始する時代です。
 しかし、こうした時代の推移は、ある日突然起きるわけではありません。とくに、70年代後半から80年代初頭までは、60年代の記憶――たとえばラディカルな左派政治やカウンターカルチャー、あるいは前衛芸術の記憶など――が、まだ生々しい中でこうした変化が進行したのです。この時代に60年代とは違った形でアンダーグラウンドな自律文化が雑誌や音楽を初め、文化・アートのあらゆる領域で発展しました。西武百貨店やパルコの広告、西武美術館、西武劇場、スタジオ200などの文化催事が力をもったのは、こうした緊張関係の中で、西武流通グループがこの時代に登場したあらゆるラディカルな文化を情報発信ツールとして利用することに成功したからではないかと思われます。80年代後半は、60年代の記憶が失われ、70年代中盤から80年代初頭に登場した、新しい文化のエッジが失われる代わりに、新しい企業文化の中に完全に吸収されていく時代でした。今日一般に80年代文化として総称される文化は、この時期に完成します。一般に流布している「セゾン文化」のイメージもまたこの時期に形成されたのです。
(佐藤真「特集:辻井喬と戦後日本の文化創造  セゾン文化は何を残したのか」http://www.dan21.com/backnumber/no90/index.html