あの頃、原爆より原発の方が怖かった(今も)

大田俊寛*1『現代オカルトの根源起源』の最初の部分に曰く、


オウムの教義が切迫した終末思想をその基調としていたことは、広く知られている。オウムが社会に現れた一九八〇年代、世界は、アメリカとソ連という二つの超大国が対峙する冷戦構造下にあった。結果として両国が直接的に戦火を交えることはなかったが、その「代理戦争」と呼びうるものが世界各地で勃発していた。また、来るべき本格的な戦争に備え、膨大な量の核兵器が両陣営で生産・備蓄されていた。今となっては多分に忘却されているが、世界はいずれ「第三次世界大戦」に突入する可能性が高いのが、当時の人々の共通認識だったのである。(pp.10-11)
国際的にも国内的にも、「一九八〇年代」というのは前半と後半に分けなければならない。「 世界はいずれ「第三次世界大戦」に突入する可能性が高いのが、当時の人々の共通認識だったのである」というのは1980年代前半であればある程度当て嵌まるかと思うけど、後半には全然当て嵌まらない。1980年代後半というのは、日本国内においては〈バブル経済〉の時代だけれど、国際的にはペレストロイカと米蘇和解の時代で、やっと「冷戦」が終わったんだと浮かれてた時代。大田氏の言う「一九八〇年代」、瑜伽団体〈オウム神仙の会〉が発足した1980年代前半かと思ったのだけど、前後の文脈からいうと、昭和も押し詰まった1988年辺りであるらしい。そして、大田氏の叙述における時代感覚のずれは、当時のオウム真理教自身の時代感覚のずれに引き付けられたものらしいのだ。私がオウム真理教について初めて具体的に知ったのは、元号が平成に改まった直後に、信者の体験談つきのオウム真理教のビラを読んだことによってだった。そこにも、「核戦争」の危機云々を語る信者の声があった。でも、そのとき、何故今頃になってそんないってるんだよ、馬鹿じゃねぇの! と思った。
1980年代後半、バブル経済と冷戦の終わりに浮かれていた私たちが「切迫した終末思想」なんかと無縁だったかといえば、そうでもなかった。「核」ということでいえば、当時は原爆よりも原発の方が怖いと思っていた。1980年代後半というのは〈チェルノブイリ〉直後でもあったのだ。そして、「戦争」ではなく事故としての〈核の惨事〉のヴィジョンを提示したのが広瀬隆*2だったわけだ。