- 作者: 東京社会学インスティチュート
- 出版社/メーカー: 東京社会学インスティチュート
- 発売日: 2006/09
- メディア: 単行本
- 購入: 8人 クリック: 57回
- この商品を含むブログ (21件) を見る
承前*1
「基本的にゴッフマン理論は――デュルケム理論からの影響により――現象学的な観点とは相反する観点から、つまり社会(的構造)が主観的意識に先行するという観点から構成されたものである」(速水奈名子「身体社会学とゴッフマン理論」、p.91)に対するひとつのカウンター・ステイトメントとして、佐藤嘉一先生がシュッツのLebensformen草稿に即して述べているパッセージをメモしておく。ただ、このシュッツは(生活史的な意味で)〈現象学者以前〉のシュッツではあるが。
また「語る私」という生の形式に対するシュッツの考察も興味深い。「言辞以前」、即ち言葉の誕生以前、事物であれ、行為であれ、君であれ、私の意識に開かれていたのは、専ら外部からくる体験だけであった。しかるに言辞以後、言葉の誕生以後は、もはや〈私〉だけに属して、〈君〉や〈あなた〉や〈おまえさん〉にも属さないという体験はなくなってしまう。言語の奇蹟というのは、言葉という象徴によって象徴化される体験が根本から変化してしまうこと、必然的に君関係に入ることである。この変化の力は絶大であり、「言葉」が世界の新たな形成を行い、この新たな形成の優位の陰に、それ以外のあらゆる体験はヴェールに覆われたように、消え失せてしまう。シュッツはここでデュルケムと見紛うほどの正確さで「社会的事実」としての言葉の物象化問題を鮮やかに記述しているのである。「聞こえた言葉」「語られた言葉」「読まれた言葉」「書かれた言葉」、あらゆる種類の言葉が、世界を「図式化」し、その他のどのような「生の諸形式」によっても近づきえないやり方で[世界を]形成することによって、世界を統治する。言葉は事物(もの)の前に立ち、これを体験できなくする。(後略)(「改訳版 序」『社会的世界の意味構成』、p.13)
- 作者: アルフレッド・シュッツ,佐藤嘉一
- 出版社/メーカー: 木鐸社
- 発売日: 2006/12/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (26件) を見る