研究会2つ

承前*1

仏のまなざし、読みかえられる自己―回心のミクロ社会学

仏のまなざし、読みかえられる自己―回心のミクロ社会学

12月22日は、社会科学基礎論研究会@大正大学。著者を迎えて、『仏のまなざし、読みかえられる自己』をレヴューする。寺田喜朗氏、足立重和氏とともに登壇する。いつもの基礎研と比べて、参加者はたしかに少なかったが、にも拘わらず、全体としてけっこう濃い議論ができたのではないかと思う。著者の芳賀学氏の発言の中で印象が深かったことをひとつ記すと、この本の記述の中にフィールド・ワーカー(つまり著者たち)の姿を残すように努めたということ。
足立重和氏とは初対面だったが、お会いして、非常に気さくな方だったので安心。著者の芳賀、菊池氏、、版元のハーベスト社の小林さんには久々の対面。ここで「ハーベスト社」という社名の由来を初めて知る。またさらに、土居浩氏、田中久美子さん、隈元正樹氏、中村浩子さんといった方々と初対面。特に、土居さんはご自身のblogでも採り上げていただく*2。さらに、忘年会には藤田庄市氏も参加。但し、その後の記憶は飛んでしまい、気が付いたら、深夜家に帰っていたという感じ。


 塚田穂高「霊能の「指導者集中型」宗教運動の展開過程における発達課題−−日本の新宗教・霊波之光の事例から−−」『東京大学宗教学年報』XXIV、2006、pp.109-125
 寺田喜朗、塚田穂高「教団類型論再考−−新宗教運動の類型論と運動論の架橋のための一試論−−」『白山人類学』10、2007、pp.1-20


をいただく。ここに記して御礼申し上げます。
この日、買った本;


川又俊則、寺田喜朗、武井順介編『ライフヒストリーの宗教社会学 紡がれる信仰と人生』ハーベスト社、2006

ライフヒストリーの宗教社会学―紡がれる信仰と人生

ライフヒストリーの宗教社会学―紡がれる信仰と人生

翌23日は、市ヶ谷の法政大学で開かれたシュッツ・パーソンズ研究会へ行く。油井清光氏の「パーソンズは「社会的世界の意味構成」(シュッツ)をいかに読んだか−−パーソンズによる同書への書き込み分析−−」。ペンシルヴェニア大学図書館の「パーソンズ・コレクション」にあるパーソンズ蔵書のシュッツAufbauに対するアンダーライン、書き込みの考察。油井氏の結論としては、「収斂(理論)への可能性という構えで同書を読み込もうとしていたのではないか」(p.1)ということだが、興味深かったのは、パーソンズのアンダーラインや書き込みが第3章までで、第4章以降はまったくきれいなままであるということ。どのようにしてパーソンズがシュッツのAufbauを知ったのかということに関しては、シュッツはマリアンネ・ウェーバーに献本しており、パーソンズはマリアンネのサークルに出入りしていたので、その関係で本書の存在を知ったのではないかとというのは佐藤嘉一先生のご意見。佐藤先生には、自らが訳されたZygmunt Dulczewski「『ポーランド農民』の共著者としてのズナニエツキ」というテクストをいただく。一読してみて、これは従来の社会学史的常識を打ち破る面白さがあるのだが、未発表のテクストであり、内容をここで言及するのは遠慮しておく。また、鈴木健之氏、中村文哉氏とも久々の再会。

社会的世界の意味構成―理解社会学入門

社会的世界の意味構成―理解社会学入門

帰りに、
稲垣久和『国家・個人・宗教 近現代日本の精神』講談社現代新書、2007
国家・個人・宗教 ~ 近現代日本の精神 (講談社現代新書)

国家・個人・宗教 ~ 近現代日本の精神 (講談社現代新書)

橋本努『自由に生きるとはどういうことか−−戦後日本社会論』ちくま新書、2007

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