ネタにされること

二百年の子供 (中公文庫)

二百年の子供 (中公文庫)

大江健三郎『二百年の子供』から;


小学生のころから、あかりは担任の先生に、
――お父さんが、きみのことをこんなふうに書いていたね、といわれて困った。
そんなこといわないし、していません、と正直にいうと、
――どうしてウソをいうの? といやな顔をしていう先生もあった。
あかりは、自分が知らない間に、「私の言葉」を話して「私のふるまい」をしている女の子がいるようで怖かった。
そのことを朔にいうと、
――あれは小説だからね、といえばいいんだ、と弟は平気だった。
それでも、朔の友達は、父の小説に興味を持たない人たちのようだし、あかりの友達もそうだ。
中学生になって、あかりは障害のある小学生のボランティアをするサークルに入った。真木のことがもっとよくわかるようになりたかったのと、自分がクラスではひとり、障害児のことを知ってる気がしたから。
サークルの活動があった日は、夕食を作る母に友達になった愉快な小学生たちの話をした。母は、あかりが面白いと思ったことを、いつも心から面白がった。その話が食卓まで続くこともあった。
ある日、あかりと母が楽しく話しているのを父がじっと聞いていた。ベッドに入ってから、あかりは心配になった。あの小学生が、自分にとっての「私の言葉」「私のふるまい」でないことを話したり、したりさせられるかも知れない。父の小説のなかで……
跳び起きたあかりは、父の書斎に上がって行って叫んだ。
――私の友達のことは、絶対に書いちゃだめ!(pp.55-56)
作家の家族であるということは、ネタにされること、「「私の言葉」を話して「私のふるまい」をしている」別人の存在を引き受けること?