大江健三郎と「私小説」(メモ)

美しいアナベル・リイ (新潮文庫)

美しいアナベル・リイ (新潮文庫)

承前*1

大江健三郎『美しいアナベル・リイ』への川本三郎*2の「解説」に曰く、


大江健三郎は特異な私小説作家である。
自身を思わせる「私」を中心に、その妻、子供の「光」、娘、故郷である四国に住む母、妹、あるいは妻の兄である映画監督、といった実在する家族を登場させながら、そこに大胆に虚構を持ち込んでゆく。私小説という狭い世界を、伝承や世界文学と響き合う豊かな物語の世界へと広げてゆく。「ファンタジー化した私小説」というゆえんである。
(略)
大江健三郎にとって私小説という日本近代文学の伝統的手法はあくまでも、私小説を乗り越える手段になっている。読者は、私小説を読んでいるつもりだったのにいつのまにか幻想の世界へ運ばれてゆく。私小説幻想小説が混在している。そこに大江健三郎の永遠の前衛としての魅力がある。(pp.264-265)
まあこれは大江健三郎の読者にとっては既に常識的な事柄なのだろうけど。またそもそも大江作品を「私小説を読んでいるつもり」で読み始めた人というのはどれほどいるのだろうか。

月曜日、人に会いにお茶の水に行った。駅前の昔パチンコ屋だった場所が調剤薬局になっているのに今更ながら気づいた。それとは対照的に、喫茶「ミロ」が健在であることにも驚いた。「ミロ」の女主人に赤ん坊がビスケットをいただいた。息子はまだ歯が生えていないので噛めないけれど、けっこう美味しそうにしゃぶっていた。駅前の古本屋で『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』(朝日新聞社、2000)を買う。