「新自由主義者はどうかわからないが、熱湯浴にとって、靖国神社と護国神社以外の社寺は不要なのかも知れぬ。もしかして」と書いて*1、少し以前に読んだ大江健三郎の『二百年の子供』*2の一節を思い出したので、写しておく。2064年における「ムー根拠地」の「農場長」の語りを含む;
『二百年の子供』が最初に『読売新聞』に連載されたのは2003年。2064年は「リヒァルト・シュトラウスの生誕二百年」(p.246、p.259)。
しまいに朔は、「千年スダジイ」が燃えたことを知っているか、と聞いた。
――「国民再出発」がいわれた時期じゃないのカッ! 国民がバラバラになって、国の力が弱くなったといってネー。
あの時、精神純化の運動もあったネー。憲法で国の宗教を定めて、それよりほかの施設は教会でも寺でもやしろでも焼きすてた。青少年の九割が運動に参加したのやないカッ? 「ムー根拠地」は宗教とはちがうのに、攻撃されたネー。「千年スダジイ」も、この地方の遅れた信仰のしるしや、と焼かれたのではないカッ?(pp.273-274)
- 作者: 大江健三郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 文庫
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