http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200904170000
鎌田東二氏を引いて、新渡戸稲造が釈尊、孔子、基督、ソクラテスを「四大聖人」と名付けたという話が書かれている。東洋大学的にいえば、「四聖人」は釈尊、孔子、ソクラテス、カントだよね。中野区の哲学堂公園にこの4人を祀った「四聖堂」というのがあるし*1、私の学生時代には白山にこの4人のレリーフが入り口に掲げられた建物もあった。
上のエントリーの中心的な主題であろう「批評」の存立可能性に関しては、また改めて書こうと思う。
さて、東洋という語は漢語においては、文字通り中国から見て東側の海、さらにはその延長としての日本という意味で使われてきたし、現在でもその意味で使われている。人力車は日本から伝来したものであるが故に、上海では東洋車と呼ばれた。occidentに対するorientという意味で使われるのは東方である。日本でも元々はそのような意味で用いられており、佐久間象山が「西洋の藝術*2、東洋の道徳」と言ったときの「東洋」は西洋に対立する広く曖昧なOrientの意味ではなく、日本という意味であろう。東洋という語は明治の間に意味が変わり、現在のようにOrient全般を指すようになる。井上円了が東洋大学を創立したときは、この意味転換の後だったのかどうか。
因みに、Asiaが亜細亜と書かれるようになったのは明朝末期。加藤祐三氏(『東洋の近代』)によれば、その時中国人は自分たちがAsiaに属するという意識はなかったらしい。もし自分たちがそれに属すると考えていたら、「亜」というあまり意味がよろしくない字を宛てる筈はない。また、日本で初めて亜細亜を使ったのは、たしか(加藤氏によれば)新井白石。
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*1:See eg., http://30972253.at.webry.info/200704/article_3.html
*2:これは現代の言い方だと、技術と呼ぶべきだろう。