書物擬き?

『RBB TODAY』の記事;


“謎の出版物”「亞書」、国会図書館が返金請求へ
2016年2月2日(火) 17時06分


 国立国会図書館は2日、りすの書房が販売し、国立国会図書館に納入した書籍「亞書」(著:アレクサンドル・ミャスコフスキー)について、返却および代償金返金請求を行うことを発表した。

 国立国会図書館では、納入された出版物について「納入出版物代償金」を支払う制度を採用している。そのため、郵送された「亞書」第1巻から第78巻までの計78冊(1冊あたり定価6万円、税別)についても、出版物と解し、納入出版物代償金42冊分の約136万円を支払っていた。

 しかしながら2015年10月以降、著者や出版社の実在を疑う声が、ネットで噴出。その内容も、ギリシャ文字等をランダムに配した解読不能な本であったため、「納入出版物代償金を目当てとする詐欺行為ではないか」との指摘があがった。その後りすの書房側は、「美術品である」との釈明を行うなどした。

 国立国会図書館では、オンライン書店においても一時販売されていたこと、体裁も簡易なものではなかったことから、受け入れを行ったが、その後発売元に事情を聞くなど調査を実施。国立国会図書館法に列挙された「出版物」に該当せず、納入義務の対象に当たらないと結論づけた。

 今後は「亞書」を発売元に返却するとともに、発売元に支払い済の納入出版物代償金の返金を求める方針だ。
《冨岡晶》
http://www.rbbtoday.com/article/2016/02/02/139288.html

これは先ず〈書物〉とは何かという問題に繋がると思う。それなのに、『亜書』に関する議論は、全く世俗的な議論に終始していたと思う。〈書物〉の或る極には〈オブジェとしての書物〉というのがありうる筈なのだ。また、〈書物〉の別の座標における極には読まれないことに意味がある書物があるわけだ。忍者映画の巻物みたいに。
また、『亜書』というタイトルの意味について考えてみた人はいたのだろうか。かなり以前に、「亜」という字について、

因みに、Asiaが亜細亜と書かれるようになったのは明朝末期。加藤祐三氏(『東洋の近代』)によれば、その時中国人は自分たちがAsiaに属するという意識はなかったらしい。もし自分たちがそれに属すると考えていたら、「亜」というあまり意味がよろしくない字を宛てる筈はない。また、日本で初めて亜細亜を使ったのは、たしか(加藤氏によれば)新井白石
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090428/1240932635
と書いたことがある。たしかに、「亜」という字は「あまり意味がよろしくない」。例えば亜流とか。「亜」という字は、〜擬きというか似て非なるものというニュアンスを喚起する。亜大陸(大陸擬き)、亜種(種擬き)、亜鉛(鉛擬き)。この並びで「亜書」を考えれば、書物擬きということになるだろう。
東洋の近代―紀行随想 (1977年) (朝日選書〈97〉)

東洋の近代―紀行随想 (1977年) (朝日選書〈97〉)

朝日新聞』は「りすの書房代表取締役の男性(26)」にインタヴューをしている*1。それによると、

――出版の意図は?

 112巻まで作りましたが、132巻まで出したいと思っています。しかし本当は(分冊せずに)全部で1冊の分厚い本にしたかったんです。美術作品や工芸作品という感じですね。1冊1冊それ自体が、本というより立体作品。昨年12月から制作を始めましたが、構想は学生の頃からずっと温めていたものです。*2

また、

――ギリシャ語のわかる人が見ても、まったく意味がわからないと言っていますが、どういう内容なのですか。

 自分で書きましたが、パソコンでギリシャ文字をランダムに即興的に打ち込んだものなので、意味はないです。メッセージも特にない。デザインですね。題名も意味はなく、ひらめいて自分で付けました。作者は自分のペンネームであり、作品のイメージで名づけた架空の人物です。

昨年11月の『週刊新潮』の記事*3から;

ページを埋め尽くすギリシア文字やローマ字の羅列は、翻訳家にも解読不能だった。それもそのはず、

「あの本の内容に意味なんてありませんよ。パソコンのキーボードを即興で叩いただけですから」

 悪びれずに語るのは「りすの書房」の社長(26)だ。


 疑惑は深まるばかりだが、一方で、どんな内容であろうと表現の自由を蔑(ないがし)ろにしてはなるまい。そこで、“著者”である社長に執筆の意図を尋ねると、

「『亞書』の構想は18歳の頃から温めてきました。中学までは本もロクに読まない不良少年でしたが、高校時代の友人から借りたゲーテの『ファウスト』に衝撃を受けたんです。それからは、読書にハマって海外文学や芸術関連の書物を読み漁った。当時、興味を持った作品が『亞書』のヒントになりました」


曰く、意味をなさない文章を並べる手法はダダイズムから、文字の配列による造形表現はロシア構成主義から着想を得たのだとか。

「『亞書』は書物自体が芸術作品なんです。確かに1冊も売れていませんが、“代償金目当て”というのは見当外れの中傷に過ぎない。納本制度について知ったのも、約2年半前に出版社を立ち上げてからです。10万円の楽譜を販売したところ、“高くて買えないので国会図書館に納本してほしい”と依頼されまして」(同)

この後で、ダダイズムの専門家や露西亜アヴァンギャルドの専門家のコメントを取ることもなく、板倉宏というゴミのコメントで締めくくるという低俗ぶりはさて措く。この「りすの書房代表取締役」は「パソコンでギリシャ文字をランダムに即興的に打ち込んだ」と言っている。「ランダム」と「即興」は同義的或いは類義的であるようだ。そうだろうか。「即興」によって「ランダム」(出鱈目)は実現できるのだろうか。因みに、適当に、即興的にサンプルを選んでいってもランダム・サンプリングはできない。無意識の癖といったものによって〈秩序〉ができてしまうからだ。『亜書』も読み込んでいけば、凡庸で退屈な〈秩序〉が浮かび上がってくるのでは?

*1:塩原賢、竹内誠人「「ネットの指摘はいわれなき中傷」 「亞書」制作の男性」http://www.asahi.com/articles/ASHBZ7W1WHBZUCVL03M.html

*2:「りすの書房代表取締役」の言葉は太字にした。

*3:国会図書館をカモにできると思いついた「26歳社長」のご口上」http://www.dailyshincho.jp/article/2015/11280840/?all=1