狩猟、農耕、遊牧そして血液型

承前*1

清水孝幸「心理研究家御瀧政子さん Q 福田さんは典型的なA型?」http://www.tokyo-np.co.jp/hold/sokkyo/news/200808/CK2008081202000131.html


コメント欄で教えていただいたのだけれど、「総選挙を前に、それには誰がふさわしいのか、じっくり自分の頭で考えたいものです。血液型は輸血にしか役立ちませんが、人間を見るための判断材料なら山ほどあります」*2って、読者大衆に説教垂れる前に先ず東京新聞で社内研修しろよとは言いたくなる。
さて、この御瀧政子という方の特徴は血液型理論通俗的な文化唯物論(「狩猟」/「農耕」/「遊牧」)で補完しようとしているということだろう。曰く、


最初にできたのはO型だといわれています。私は「狩猟民族」がルーツだとみています。獲物を追い続けるのに必要な、行動的でパワフルな気質が持ち味です。

 A型は「農耕民族」。農耕には、毎日欠かさず水をやったり、雑草を取ったり、地道な作業が必要です。周囲の人との協力も必要なので、多少、気に入らない相手とでも我慢して付き合っていきます。

 B型は「遊牧民族」。環境の変化に応じるために、自由な発想力と、必要なら単独行動もいとわない個人主義的な考え方が発達しています。

 AB型は分類がうまくできないのが特徴。どの文化にも客観的に適応できる天才タイプです。


遊牧民族は風や空や草を見て、どう行動するか判断します。福田さんみたいに優柔不断だったら、全員が飢え死にしちゃいます。ですから、いつも自分で決断し、自分で進めていく。B型は独断、即決、行動的。その分、他人の意見は聞かないことがあるから、剛腕といわれます。
人類にとって狩猟とともに古い生業である漁撈がシカトされてるのはどうよ、と先ずはいう。また、狩猟だって兎を獲るのと猪を獲るのと熊を獲るのでは違うだろうし、農耕だって芋を育てるのと稲を育てるのは違うだろう。細かい突っ込みはさて措くとして、所謂狩猟民族と所謂農耕民族と所謂遊牧民族で血液型がどのように分布しているのかを統計的に明らかにしてほしいものだ。
「狩猟」/「農耕」/「遊牧」の対立で全世界を語っちゃうような言説の殆どは糟だといってもいいのだろうけど、狩猟採集と農耕の対立を分裂病鬱病の対立に重ねた中井久夫先生の『分裂病と人類』はやはり名著だといえる。その本の中で、高血圧は瞬発力が重視される狩猟文化においては適合的だったと中井先生は言っていたけれど、血液型については何も言っていなかった筈だ。以前「自分では畑仕事はおろか土をいじったこともないような人が日本人は農耕民族だとか熱弁するというのはよくあるけれど、そういうのを聞いて、いつも???と思ってしまうということもある」と書いたことがある*3。御瀧政子さんにも、自分で狩りをしたことがあるのか、畑を耕したことがあるのかとは問い質したいとは思う。中井先生によれば、狩猟文化において重要なのは「行動的でパワフルな気質」ではなく、兆しや痕跡を読む能力なのだ。体毛とか糞といった兆し(痕跡)を読めなければ獲物は見つからないというのは少し考えれば理解可能だろう。私の信州の田舎では昔冬になると熊を撃っており、1頭か2頭撃てば一冬を遊んで越せたという*4。私が聞いた話では、重要なのは如何にして熊が隠れている場所を探すのかということだったという。「行動的でパワフルな気質」だけだったら、冬山で遭難してしまいますよ。
分裂病と人類 (UP選書 221)

分裂病と人類 (UP選書 221)

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090308/1236529774

*2:http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009030802000070.html

*3:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080823/1219501117

*4:藤田覚『大江戸世相夜話―奉行、髪結い、高利貸し』という本に、江戸時代後期の熊の胃の相場の話が出ていると思う。

大江戸世相夜話―奉行、髪結い、高利貸し (中公新書)

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