遊牧民への誤解(王明珂)

昨年の3月に書いたhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090312/1236788552に対して、


狩猟民族へのあこがれ、というと、一時期騎馬民族ネタの本が流行ったことを思い出します。村上龍も、小説内で騎馬民族へのロマンティックな幻想を書いてましたね。現実の騎馬民族というか遊牧してる人なんか、毎日同じもの食べてるみたいだし、定住して街や村作って暮らしてる人たちよりある意味しんどい日々を送ってるように見えるんですけども、たぶん村上龍の脳内では、そういう現実とはなんの関係もないところで馬に乗って走ってるんでしょうね。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090312/1236788552#c1236824231
というコメントをneskoさん*1からいただいた。
今読んでいる王明珂『游牧者的抉択』*2の「前言」から、特に定住民が遊牧民に抱いている「誤解」についてメモしておく。
王明珂氏によると、「游牧民族」に対する誤解は主に4つある。先ずは浪漫化。それに対しては、遊牧というのは「人們利用辺縁、不穏定自然資源的一種経済、社会生態体系」であり、「生活中処処充満危機與不確定、毫無浪漫可言」という(p.1)。第2の「誤解」は遊牧が「農耕」よりも原始的であるというもの;

人們対游牧社会的另一個誤解為、“游牧”相対於農業而言是一種原始的人類経済生産方式、在人類文明史上属於由“漁猎”到“農耕”的中間進化階段。事実上、正因為游牧所利用的是辺縁、不穏定自然資源、因此它需要人們対自然(地理環境與生物)高度技術性的理解與掌握、併配合経済、社会各方面之種種精巧設計――此遠非8000年前或5000年前新石器時代的原始農民所能企及。因此在人類歴史上、世界幾種主要類型的専化游牧都大約出現在公元前1000年至前400年之間、遠較原始農業的出現為晩。(pp.1-2)
つまり遊牧経済の出現は人類史上において農業よりもかなり最近のことである。第3の「誤解」は、適応すべき自然環境に応じて遊牧生活は様々である筈なのに、あたかも単一の「游牧生活」・「游牧経済」が存在するかのように思い込んでしまうこと。「游牧的多様性(nomadic alternatives)」の無視(p.2)。第4の「誤解」は遊牧民の暴力性の強調。王氏が例としてあげているのはディズニー・アニメの『花木蘭』における「匈奴」の表象。
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さて、王明珂氏は、現代の人類学において遊牧社会研究が「主流地位」を占めたことは全くないという。さらに、

甚至在1970年代以後、由於游牧世界的変遷與戦乱、人類学家在此失了大多数的田野、因而新的学術研究成果併不豊盛。可以説、這是一個日薄西山的学術専題。然而有許多的理由我相信“游牧”仍是一個重要議題。不僅因為在新的社会環境與科技下、有些人群仍努力調適、修正併践行這種経済模式、也不僅因為這些当代游牧被視為破壊環境的元凶而受到許多争議與指責、更因為世界各伝統游牧地区近代以来大多在戦争、飢饉、貧困與政治紛擾之中。此顕示、近代以来的世界政局、科技與相関意識形態*3変化、皆不利於游牧経済及其人群的存在與独立発展。而人們対於游牧社会的認識不足、常使得許多対伝統牧区的救済、補助、改良徒労無功、許多対游牧的指責、怪罪也経常是無的放矢*4。(p.4)
ところで、王氏が挙げている遊牧に関する3冊の人類学的研究をメモしておく;


Fredrik Barth Nomads of South Persia: The Basseri Tribe of the Khameseh Cofederacy Waveland Press, 1961
Marilyn Silverman & P. H. Gulliver Approaching the Past: Historical Anthropology through Irish Case Studies Columbia University Press, 1992
P. H. Gulliver The Family Herds: A Study of Two Pastoral Tribes in East Africa, the Jie and Turkana Routledge & Kegan Paul, 1995