http://d.hatena.ne.jp/nitchimo/20090228/1235751740
「現代仮名遣い」は「発音との一対一対応」に目が眩み、結果「語の構造」を見失った表記だ。一方、歴史的仮名遣は、「歴史的」と言ふが、その素性は「語源と語の構造を反映させる」表記であり、非常に理性的な表記だ。単なる復古や懐古の表記ではない。
例として「つまづく」が挙げられている。私もtsumadukuと打ち込んで躓くと変換されないのはむかつく。以前躓くというのは爪+衝くだからづと表記すべきでしょ? と誰かに訊いたら、今そんなことを意識している人間なんていないと言われたことがあった。俺は意識してるんだよ。ただ、これは正仮名と現代仮名遣いという問題ではないのでは? 現代仮名遣いでは所謂四つ字については体系立った方針を示していないのでは? 例えば躓くの場合はずだけれど、気付くの場合はづだとか。純粋に表音主義で行くなら、仮名遣いだってかなずかいの筈。たしかに正仮名は「理性的な表記」であるけど。正仮名の合理性について言えば、例えば言ふなどの場合、新仮名では、活用があ行とわ行に割れてしまって、五段動詞としての体を為さなくなる。また、新仮名は正仮名にパラサイトした仕方で存在しているということもいうべきだろう。多いや遠いは新仮名ではおおい、とおいと表記する。何故おういやとういでは駄目なのか。これは正仮名でおほい、とほいと表記されていたからであり、つまり正仮名の知識がなければどうしてこういうふうに書かなければいけないのかということは理解できないのだ。
「現代仮名遣い」は「構造」を隠蔽した。これは和語の造語法を隠蔽した事に他ならない。和語の造語を不可能にすれば、日本語の中で漢語や外来語の比重が高まるのは目に見えてゐる。なのに「漢語は解らない」「外来語も解らない」で、何をしようと言ふんだ。
丸谷才一先生が新仮名によって言葉の間の連関(上に引用した言葉遣いだと「語の構造」)が隠蔽される例として挙げていたのは、扇ぐ(あふぐ)と扇(あふぎ)だったか(『桜もさよならも日本語』)。
- 作者: 丸谷才一
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