中国民俗学の起源(メモ)

李政亮「風景民族主義」『読書』2009年2月号、pp.79-86


先ず瑞典の人類学者Orvar Lofgren*1On Holidayという本の中で、ナショナリズム構築における「風景」の役割を論じているという。最初に「自然原野」の中に「凝聚其国族歴史的重要媒介」としての「風景」を見出したのはヨーロッパ的な文化伝統から切り離された米国の知識人であった。そして、1872年の「黄石」(Yellowstone)を皮切りに「国家公園」(国立公園)制度が制定される(p.79)。また、欧州に目を転ずると、「徳意志第二帝政」期の「家郷(Heimat)運動」(p.80)。さらに、ナチスの「山岳電影(mountain film)」(pp.80-81)。
日本においては『日本風景論』の志賀重昂*2(pp.81-82)。さらに、柳田國男(pp.82-84)。曰く、


如果説、志賀重昂的《日本風景論》建立了一個通過風景建構国族想象的典範、那麼被称為日本民俗学之父的柳田國男、則是翻写了志賀重昂的風景典範。如同佐藤健二指出的、在志賀的風景論当中、日本山水是其関注的焦点、山水之外的人物、動物乃至社会生産関係並不在其風景想象当中。不同於志賀重昂的風景観、柳田國男不僅将山水之外的人物、動物乃至社会生産関係納入他的風景想象、併且将之進行社会学的詮釈。(pp.82-83)
中国においては、柳田の『遠野物語』の訳者でもあった周作人(p.85)。彼は〈五四〉の時期に「民歌採集運動」を起こした。1918年に北京大学の『北大日刊』が呼びかけたのに始まり、1920年には「北大歌謡研究会」が設立され、1922年には『歌謡週刊』が創刊された。「北大歌謡研究会」の活動は「民歌」(民謡)の採集に留まらず、各地の諺、婚姻儀礼、料理等々、所謂民俗全般に及んだ。国民党の北伐とともに、顧頡剛ら北京大学の学者たちの多くは南へ移住し、「民歌或民俗採集運動」の中心は広州・中山大学の「民俗学会」とその『民俗週刊』となる(p.86)。
遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

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また、

就日本而言、当軍国主義大幅度向外拡張之際、大衆文化也迅速成為中介軍国思想的工具、帯有東亜国家或城市名称的電影(如《支那之夜》、《香港淪陥記》《馬来之虎》等、日本甚至還模倣納粋徳国的山岳電影、将富士山神聖化)與流行歌曲(如以北京、上海、広州為題的“賣花姑娘”系列乃至《蘇州夜曲》等)、都成為帝国力量“跨越”国境的想象。而在中国這一方面、與之相対抗的、則是因戦争顛沛流離*3、捍衛国土而生的另一道風景、例如劉雪庵作詞的《長城謡》裏的長城或是《流亡三部曲》当中的松花江等。(ibid.)
例えば竹島*4対馬*5に熱き血を滾らせているらしきウヨ或いは熱湯浴の皆様は「風景」論の重要性に自覚的なのだろうか。
李政亮氏の文でも国木田独歩の『武蔵野』が言及されているが(p.82)、近代日本と「風景」という場合、やはり柄谷行人の『日本近代文学の起源*6をマークしておくのは順当であろう。
武蔵野 (岩波文庫)

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日本近代文学の起源 (講談社文芸文庫)

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