中国における岡倉天心(メモ)

岡倉天心の『東洋の理想』の中国語版が近く商務印書館から出版されるらしく、それに合わせて、雑誌『書城』9月号には、閻小妹「従《日本美術史》到《東洋之理想》」(pp.78-86)という文章が掲載されている。そこから、


国内*1岡倉天心及其《東洋之理想》的関注已有好些年、不論褒者貶者、一定都会注意到他的“亜州一体”論。有人称岡倉為東方聖哲、説《東洋之理想》是“対亜州文化精神的概括”、有人批判岡倉是日本実施文化侵略的“筆部隊”、也有人将岡倉帰為亜州主義者、意抹去“亜州一体”論中的政治思想色彩。(p.78)
また、最後の段落;

岡倉把亜州文明史当作日本美術形成史来叙述、其方法併未脱離黒格爾的歴史観。面対西方的文明価値観、岡倉只是把即将滅亡或已成為廃墟的亜州符号画在印度和中国身上了、他自是明明白白、一個没有文明史的国家是多麼低微、無奈、只有通過自我認識、自我定位、才可能新的世界秩序裏顕示自己、顕示日本的存在価値、所以日本民族精神形成的歴史需要印度、中国文明史作其源泉。至於岡倉創造的所謂亜州文明価値観、僅就啓迪日本人的民族精神這一点来説、無疑是極為成功的。但亜州各国逐歩殖民化的時候、岡倉主張的“亜州一体”論究竟対亜州的反殖民地闘争起到甚麼作用、今天依然是値得我們認真探討的問題。(p.86)
岡倉天心の『日本美術史』は現在平凡社ライブラリーから出ているのか。
また、この雑誌の同じ号には、汪涌豪「青木繁:久留米妖魅的画魂」(pp.87-92)という文章も掲載されている。

*1:中国国内。