Jeffrey Alexander on cultural trauma

肖婷「”群体的災難意識構成文化創傷” 早報専訪美国社会学家杰弗里・亜歴山大」『東方早報』2011年7月13日


社会学者のジェフリー・アレクサンダー*1が上海に来ている。
上掲のインタヴュー記事では最初に日本の福島原発事故について語っているのだが、この度の「災難」の認識(因果帰属)には、原子力それ自体が悪い、「無能」或いは「不道徳」な政府が悪い、「資産階級」が悪いというというのがあって、どの解釈を採るのかによって生み出される「トラウマ(創傷)」が違ってくる。現在の日本はこれらの認識が鬩ぎ合っている状態だという。
以下少し抜書き。
文化的トラウマ(文化創傷)をつくり出す「恐るべき事件(可怕事件)」は「重大事件」でなければならないのかという質問に対して、


不一定、也可能很細微的事件。尽管是集体的感受、但它也可能来自一種想象。比如”女性被強暴”在近三十年来已経成為女性的公共創傷、引発社会運動、小説創作及討論。因此対於女性而言、強暴已経她們的集体創傷、可事実上她們中大部分人併未親身経歴過。
個人的トラウマの集合的トラウマへの「転化」を巡って;

(前略)創傷変為一種象徴将人們連結起来、最後形成集体身份認同。這就需要知識分子、藝術家、説書人、社会活動家去講述一個可能的故事、譲人們相信這是一種有力的、符号化的再現。20世紀60年代後期的家庭運動中、家庭主義者認為他們的苦難来自於男性的圧制、因此需要発起運動来推開男性。
集合的アイデンティティの構築において何故「成功(成就)」ではなくトラウマが選ばれるのか;

対於光栄的叙事通常與受圧迫的記憶有関、並作為後者的一種答案。大部分国家和民族都有同様的叙事、他們過去曽被圧迫、現在却変得很強大。一個人可能既感到経歴過集体創傷、但仍然覚得他的集体很強大、因此這個集体最終獲得了巨大的成就併因此克服了創傷。這是與創傷有関的積極叙事、而非悲劇叙事。比如美国的很多黒人、猶太群体対自己都有着積極的態度。
共有されたトラウマが集合的アイデンティティを立ち上げるというのはその通りで、様々な歴史的事例に応用可能な理論だとは思うが、それほどオリジナルな議論なのかどうか。アレクサンダーの「文化社会学(cultural sociology)」の全容を知らないので、何とも言えない。


Leo Semashko “Jeffrey Alexander: Cultural Sociology of harmonious peace” http://www.peacefromharmony.org/?cat=en_c&key=57


を読んでお勉強すべきか。

ところで、Wikipediaの”Jeffrey C. Alexander”*2。2000年以前の彼の著作が記載されていない。大著『社会学の理論的ロジック』その他の著作をなかったことにするのは社会学史的にかなり問題なのでは?


“Alexander: Japan to recover but “will not be easy”” http://www.uwp.edu/news/newstemp.cfm?storyID=3764


こちらに登場するアレクサンダーさんはイェールの社会学者ではなく日本史・中国史の先生。