「虹の彼方」ではなく

『朝日』の記事;


「死んで魔法の世界へ」 土浦連続殺傷、ゆがんだ願望

2008年8月31日16時22分


 「死んで、魔法の世界に行きたかった」――。茨城県土浦市のJR荒川沖駅で3月に起きた8人連続殺傷事件で、殺人容疑などで逮捕された金川真大容疑者(24)が、犯行動機について捜査関係者にそう語っていることが分かった。自らを「特別な存在」と思い込む一方、現実社会とのはざまで不満が募り、高校卒業後に強まった死への願望が、ゆがんだ形で膨れあがったとみられる。

 金川容疑者は事件を起こす数日前、自室の壁に赤いペンで記号(○の中にZの文字)を書いた。子どものころからお気に入りだった映画「オズ(OZ)の魔法使い」を意味していたという。「死」という文字も並んで書かれていた。

 「魔法の世界は現実とは違い、自分は特別な存在になれる。すべてが自分の思い通りにできる。だから死にたい」。金川容疑者は、捜査関係者に説明した。死にたいと思うが、自殺は「痛いからいや」だった。「派手な事件を起こして死刑になりたかった」などと供述したという。

 金川容疑者は連続殺傷事件の4日前に別の男性(当時72)を殺害した容疑で、県警から指名手配された。自宅を捜索した捜査員は、金川容疑者の携帯電話をみつけ、1通の受信メールをみた。内容は「自分がすべてだ。世界も人も自分のもの。だからこそ自分の終末は自分で決める」。もう1台持っていた携帯電話から自分に送信していた。

 茨城県の私立高校では弓道部で、全国大会に出たこともあった。学校関係者によると、成績も悪い方ではなく、2年までは進学希望だった。3年で就職希望に変更したが、「あまり熱心には就職活動をしていなかった」という。

 仮想世界と死へのあこがれは高校卒業後、コンビニでのアルバイトと自室でのゲームという漫然とした生活を繰り返す中で、日に日に強まっていったとみられる。家族とはほとんど口をきかなかった。父は会話を交わすかわりに、時折、文庫本を差し入れた。

 金川容疑者は徐々に、「世が世ならば、自分はもっと高い地位にいたはずだ」と思い込むようになった。逮捕後、捜査関係者にも真顔でそう話し、不満を口にする場面もあった。一方、「現実から逃げたかった」と心情を吐露する一面も見せたという。

    ◇

 水戸地検は、刑事責任能力があるとして、9月1日に殺人と殺人未遂の罪で起訴する。起訴に先立ち、地検は金川容疑者の精神鑑定を約4カ月かけて実施。その結果、金川容疑者は人格障害の一つである自己愛性人格障害と診断された。(中村真理、大蔦幸)
http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY200808300199.html

OZの場合はあくまでも「虹の彼方の何処か」であって、死後の世界ではないとは思うのだが。また、「魔法の国」とかいうと、私の世代ではどうしても『魔法使いサリー』を思い出してしまう。金川真大がどのような経緯で自らが欣求する〈死後の世界〉を、極楽浄土でもなくパラダイスでもなく、「魔法の国」と名指すようになったのかは興味がある。
さて、この記事の内容はあくまでも〈検察ストーリー〉に基づくものだということを念頭に置かなければならないのだが、金川真大からオムニポテントな主体への信仰、それと裏腹の自らの主体としての無力感を読み取ることは容易であろう。これは「陰謀理論」な人とも共通する心性であるが、「陰謀理論」の場合はそのオムニポテントな主体が外部の実在若しくは架空の集団に投影され、(妄想的であるとはいえ)主観的勝利(認識論的勝利)が目指される*1金川真大は主観的勝利に満足するのではなく、「死」という壁を飛び越えて、自らそのオムニポテントな主体になろうとしたということになる。
どちらにしてもその害悪は甚だしいと言わなければならないのだが、その害悪を中和し、さらにはポジティヴなものに変えていくにはどうすればいいのか。あの酒鬼薔薇にしても、光市の強姦殺人事件の犯人にしても、この金川真大にしても、自ら〈神話〉の萌芽のようなものを紡ぎだしている。勿論、光市の場合は、事後的な苦し紛れの正当化という線も捨てきれないので、同列に論ずることはできないのかもしれない。凄く平凡なことを言うと、酒鬼薔薇にしても金川真大にしても、その最大の罪は、自らの妄想を昇華しフィクションとして洗練させていくという途を歩まず、ベタにアクティング・アウトしてしまったということにあるだろう。彼らの罪はファンタジー作家になれなかったことなのである。同様に、「陰謀理論」な人も、自らの妄想をスリラー小説として呈示するならば罪はないといえる。しかし、その人たちは自らの妄想を事実として呈示してしまったわけだ。