ミメーシスから


さて、スキルを身に着けるということ、その多くはミメーシスとそれに基づく試行錯誤によってであるということに気づく。あなたはどのようにして自転車に乗れるようになったのか、ちゃんとセックスができるようになったのか。さらに重要なことは、言語の習得それ自体がミメーシスという仕方によるしかないということだ。誰かの真似をして発音してみるとか字を意味も分からず手でなぞってみるとか。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080828/1219900795
最近問題になった「知的障碍者」とその母親の飛行機の中での不作法*1をミメーシスということから考えてみるとどうだろうか。
様々なスキルだけではなく、社会生活上のお作法(例えばテーブル・マナーとか)の習得もミメーシスとそれに基づく試行錯誤による。さらに特にお作法の場合、重要なのは自分の所作を見る他者の反応だろう。他者の反応をフィードバックしつつ試行錯誤するということになる*2。勿論、他者の反応にはポジティヴなものもあればネガティヴなものもある。何れにせよ、他者の反応は私たちがお作法を習得する上で必須に近い契機ということになろう。
母娘の不作法を責めることを(特に母親に同情しつつ)責めるということは*3結果的に知的障碍者が社会生活上のお作法を習得することを抑圧することになる。責めること自体が問題なのではなく、2ちゃんねるや「痛いニュース」の連中の責め方が非難されなくてはならないのは、それがそもそも排除を目論んだものであるからだ。社会の表面から排除されてしまえば、ミメーシスとそれに基づく試行錯誤の機会それ自体が失われてしまうので、どちらも社会的な効果は大差ないということになる。因みに、これはお作法を習得する一般的なプロセスについて言っているのであって、特に知的障碍者だから云々というわけではない。例えば、クラシックのコンサートにおけるマナー問題*4とかについても同様であろう。
あと、詳しくは言わないが、〈文化資本〉の問題が重要であるのは、スキルやお作法がミメーシスとそれに基づく試行錯誤によって習得されるということと関係がある。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080828/1219933079

*2:Socially sanctionedという意味で、お作法に限らず私たちの所作の殆どは〈制度(institution)〉であるということができる。

*3:See http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20080828/p3

*4:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070319/1174281942 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080628/1214682906