「ロックアウト」という言葉

承前*1


東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人未遂容疑で逮捕された派遣社員加藤智大容疑者(25)が警視庁の調べに、トラックを使った勤務先の工場の入り口封鎖計画が実現せず、「(対象を)よく通っていたアキバ(秋葉原)に切り替えた」と供述していることがわかった。リストラされると思い込むなど、仕事への不安や不満が事件のきっかけの一つになったと同庁はみている。

万世橋署捜査本部の調べでは、加藤容疑者は静岡県裾野市の自動車工場で事件3日前の5日朝、「つなぎ(作業着)がない」と怒り、帰宅。加藤容疑者は調べに「リストラのためにつなぎを隠されたと思い、4トントラックで工場入り口を封鎖しようと考えた」と供述。「インターネットで複数のレンタカー会社に申し込んだが、免許証の住所が変更されていないなどの理由でほとんど断られた」と話しているという。

という『朝日』(6月16日夕刊)の記事をhttp://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20080617/1213693417から孫引き。また、シートン博士曰く、

私より年配の方々は「ロックアウト」という言葉に聞き覚えがあるかもしれません。工場封鎖。労働争議で利用された戦法です。60年安保など学生運動では学校の封鎖なども行われています。

実際に加藤容疑者が一人ロックアウトを実行していたらどうなっていたでしょうか。

たぶん、工場の警備員にボコにされて放り出されていたでしょうし、マスコミは黙殺かベタ扱いだったでしょう。今回の事件にやたら感情移入する輩も、「痛いヤツ」とか「法律違反だから逮捕されて当然」と突き放したと思います。。

でも、もしかしたら、工場で一緒に働く、そしてやはり馘首の噂に怯える派遣労働者は、仲間として合流したかもしれません。彼は仲間を見出せたかもしれない。彼は自分の抱える問題を顕在化して解決に向けて進める事が出来たかもしれない。もちろん、その場ではボコにされたでしょうし、勤務先や派遣会社は厳かにクビを宣告し、彼の態度に問題があった、と実証して見せたでしょう。

しかし、彼には同じ悩みを抱える仲間を作れる可能性があった。少なくとも“孤独な魂の牢獄”に閉じ込められる事は無かったはずです。

けれど、結局、彼はロックアウトを行うことは出来ず、内面化した不満の向ける先を、やはり弱い立場の人々にぶつけてしまった。

ロックアウト」という言葉、私の記憶では、学生が騒ぎを起こす気配がすると、それを口実に(先手を打って)、大学当局が大学構内立ち入り禁止措置を取ることを意味していたような気がする。学生側が主動的に行う場合は、〈占拠〉という言葉を使っていたと思う(しかしながら、私が通っていた大学では、私がいう意味での「ロックアウト」は起こったが、〈占拠〉というのは起こらなかった)。この「ロックアウト」に準ずるのが、検問体制を強化し、入り口で学生証等のチェックを行うというもの。