『せめぎあう「民族」と国家』

飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』(アカデミア出版会、1993)を最近読了したので、取敢えずメモ。


まえがき(飯島茂)


序「いま、なぜ「民族」と「国家」なのか――草の根の視座に立って――」(飯島茂)


第1部 自立と共生のはざまで
I「「私は、何者か」――イラン人の帰属意識と国家意識――」(上岡弘二)
II「民族の「仲間」意識と「よそ者」意識――ビルマ世界におけるシャンの視角――」(高谷紀夫)
III「「むら」としての「くに」――東南アジアにおける小国家の時代――」(坪内良博)
IV「幻想としての国家――南インドの生活世界から――」(関根康正)
V「「ネワール的」な国から「ネパール的」国家へ――南アジアにおける多民族・多言語社会の国民形成――」(石井溥)


第2部 「棲み家」としての国家
VI「われわれに、くにを返してくれ」――カナダ連邦政府と先住民のせめぎあい――」(江口信清)
VII「できていた「国家」と選ぶ「民族」――アフリカ民衆の生活戦略――」(和崎春日)
VIII「創られた民族――中国の少数民族と国家形成――」(鈴木正崇)
IX「インドの政治風土――「取り分」社会と「レイアーケーキ型」国家――」(木村雅昭)
X「「マンガ国家」への逃走――劇画「沈黙の艦隊」現象の解読――」(山本勇次)
XI「混迷する農業のゆくえ――「土着の論理」と「国家の政策」との相克――」(嘉田良平)


あとがき(佐藤良典)

飯島茂氏の還暦・東京工業大学退官記念論集を兼ねる。
タイトルの「 せめぎあう「民族」と国家」というのはなかなか多義的である。

中華人民共和国によるチベット占領を、アメリカとインドは帝国主義的侵略として非難し、チベット人のゲリラをチベット南部やヒマラヤの国境地帯に送る。それにともなう政情不安や治安の不安定を理由に、一九六二年には、中華人民共和国政府は、ヒマラヤ国境を全面的に封鎖してしまう。このような周囲の大国による政治的、軍事的なエゴイズムが、ヒマラヤの人々の生活のうえに、どのような深刻な影響を与えたかは、多くを語る必要はなかろう。被害は、ネパールとチベット国境の両側に住むチベット系の住民に及んだだけではない。そのほかの周辺地域でも、広範囲にわたって決定的な打撃を受けている。たとえば、国境から数日間も行程のかかる南方に住んでいるヒマラヤの商業民タカリー族などは、その典型であろう。かれらはチベットから岩塩を大量に輸入し、その見返りに、ネパールの南部からは米や小麦などの農作物、インド方面からは工業製品を輸入し、チベットへ輸出していた。しかしながら、一九六二年に中華人民共和国によってヒマラヤの国境が全面的に閉鎖されると、伝統的な商業活動は完全に停止され、中部ネパールのタコーラ地方にあった領域からネパールの南部へ向けて、大挙して、民族の大移動を余儀なくされる。こうして、ネパール・ヒマラヤにおいては、中国、インド、アメリカといった国々の大国主義的な政治が周囲の小国を圧迫し、果ては、そこに住んでいる少数民族の死活問題をも惹き起こしているのである。(飯島茂「いま、なぜ「民族」と「国家」なのか」、pp.32-33)
これを読むと、焦点は「民族」と「国家」の鬩ぎ合いということになるが、収録されている論攷によっては「国家」と「国家」の鬩ぎ合いに重点が置かれているものもある。また、印度を扱った2つの論攷において問題になっているのは、「カースト」と「国家」の鬩ぎ合いである。