「ブランド」としての都市その他

ブランドの条件 (岩波新書)

ブランドの条件 (岩波新書)

山田登世子『ブランドの条件』*1からのメモの続き。
ココ・シャネルの言葉――「モード、それは私だった」(p.135)。ルイ十四世の言葉――「国家、それは私だ」(p.136)。


シャネル帝国の背景にあったもの、それはパリという都市の文化的支配力である。
絶対王政に君臨した国王とモード界に君臨した女王と、二人が同じようなせりふをはいたのは偶然ではない。いずれにあっても背後にあるのはフランスの国力である。ルイ十四世が君臨したヴェルサイユ宮殿はヨーロッパのすべての宮廷の範となって世界に覇を唱えた。他方、シャネル時代のパリは文字どおり世界の芸術文化の中心だった。一九〇〇年パリ万博の観客数一つとってみてもそれは明らかで、延べ観客動員五千万人弱という賑わいは空前のもの。万博史上一位に輝く一九七〇年大阪万博の六千万人強と比較しても、当時のパリの都市力のほどがうかがえよう。まさしくパリという都市はそれ自体が世界のブランドであった。
ブランドは都市神話と切り離すことができない。ドルが基軸通貨となってアメリカが世界の「帝国」になる以前、パリは歴史の空に輝く特権的な都市として世界中の才能をひきよせた。ディアギレフ率いるロシア・バレエの絢爛たる舞踏がセンセーションをひきおこしたのも舞台がパリならではこそ。舞台芸術からモードまで、「メイド・イン・パリ」はマジカルな夢の力を放って人々を魅了した。シャネルはこのパリのブランド力をバックにして言い放ったのである。「モード、それは私だ」と。(pp.136-137)
そういえば、日本語での付く都市はお江戸しかなく、の付く国はお仏蘭西しかない。
話変わって、フローベールの『ボヴァリー夫人』を「カード破産の物語、あるいは買物依存症の物語」(p.171)として読むというのは面白い。

さて、http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2007/11/post_8e1e.htmlで、「吉兆」をネタにして、「のれん」と「ブランド」の区別が論じられている。その「ブランド」論は山田さんのものとは異なる。ただ、興味深いのは吉兆の戦略というのがヨーロッパのファッション・ブランドでは1990年代にはそのやばさに気付き次々と取りやめている時代遅れの戦略に近いということである*2。「吉兆」の事件を聞いたときに、そもそも〈料亭の味〉がデパ地下で手に入るという幻想を大衆に抱かせたことが駄目だろうと思った。周知のように、また山田さんも指摘しているように、ルイ・ヴィトンなどのラグジュアリー・ブランドは1990年代以降、「モード」への接近を強めているが、それは外部のアヴァンギャルドなデザイナーをクリエイティヴ・デイレクターとして招くという仕方で行われているのであり、料理業界でもそれに対応した戦略が採られなければならないということであろう。

*1:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080227/1204131672

*2:Cf. pp.79-81. しかしながら、山田さんは三田村蕗子『ブランドビジネス』にほぼ全面的に依拠しているので、そちらを見た方がいいだろう。

ブランドビジネス (平凡社新書)

ブランドビジネス (平凡社新書)