国道16号線、それは昔からその他

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070512


深町秋生氏、「国道16号線」を語る;


ジャスコ系ショッピングセンターや巨大パチンコ店、それにファミレスやチェーンラーメン店、ダイソーブックオフといった激安ショップが並ぶ。ああ、あと当然無人消費者金融店舗も忘れちゃならない。あとヤマダ電機とコジマをつければOKだろうか。あとオートバックス。そんな情景が目に浮かぶ。
あと、「忘れちゃならない」ものとしては、安売りの紳士服店があるだろう。さらに、

私が小学校ぐらいの頃はこうしたロードショップは夢のテーマパークでもあった。コジマがほとんどただ同然でカセットテープを叩き売り、ジャスコには欲しいものがなんでもあった。マックのハンバーガーは今は単に田舎者の貧乏食に成り下がったが、当時はヒップな食い物だった。小松左京原作の珍映画「さよならジュピター」で主役の三浦友和がいかにも「おれ、最先端を行ってる」という面をしながらマックのバーガーをがぶりと齧りついていた覚えがある。あと宇宙ステーションでの無重力セックス。


しかしこうしたロードショップ文化というのが、どんどん時代とともに「単に貧乏臭くて、薄っぺらい唾棄すべきニュー田舎風景」と嫌悪するようになっていったのはいつ頃ぐらいだったろうか。ロードショップは主にマイカー所有のニューファミリー達につくられた繁栄の象徴だったと思うが、現代は私だけではなく、貧しくて田舎臭くて、むしろ野蛮と鬱屈とどんづまりのアイコンとして語られるようになっていた。先日取り上げた柏もこの16号線風景の重要ポイントであり、一時期はヌンチャクといったハードコアな音楽が生まれたものだった。日本ハードコアロックの星、マキシマム・ザ・ホルモンの出身地も八王子だ。


「おれは16号線沿い出身だぞ!」というと凄味を帯びるようになった。どこかヤンキー臭く、「なめると愛車のセドリックに拉致して拷問してコンクリートに埋めるかんな」みたいな殺伐さ。あと「ファストフードしか食ってねえからキレやすいかんな」みたいな獰猛と野蛮さ。90年代の若者文化は、池袋や新宿や渋谷といった都会が舞台にして語れることが多かった。16号沿いは、それに対する返答なのかもしれない。

これを読むと16号線の荒廃は最近の現象であるかの印象を持ってしまうが、既に20年以上前に山崎浩一国道16号線沿線の荒んだキッチュさについて、雑誌『宝島』に書いている。さらに、私自身の記憶を遡れば、1970年代後半には、国道16号線は荒涼とした風景だった。その当時は、当然田圃も雑木林も多かったのだが、それだけに寧ろ近代(開発)の爪痕は生々しく、風景も(今よりも)ささくれだっていた。
さて、


蒼龍「ポストモダン化したネオリベな世界に適応した正義感たち」http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20070918/p1


ここで述べられていることはいちいち頷くことが多いとはいえる。しかし、そうしたことが「ポストモダン」とか「ネオリベ」に結びつけられることによって、それらが殊更最近の現象であるかの印象を与えてしまう。例えば、


ネオリベ化した世界では、極端な専門分化とポピュリズムが同時に起こる。一方において様々な研究が専門家にしか意味を持たなくなり、他方で市場とのつながりはますます強くなる(日本だと次々に何とか学だの何とか科学だのが現われ、ビジネスの学がはやる)。また、学術的な正当性があまりない単にもっともらしいだけの解説によるポピュリズム化も進む。この二つは完全にセットだ。ネオリベ的に分断された専門分化によって見えなくなった全体をポピュリズムがもっともらしく装う。ここでの全体とは自分の見たいものだけを見ているのみの都合のいい鏡像に過ぎない(日本の脳文化人はその典型)。物を考えるための基盤がどこにもない。
これは全くもってその通りだと思う。しかし、いくら「ネオリベ」が近代(資本主義)のラディカル化であるとはいえ、ここに述べられていることは「ネオリベ」の段階になって現れたのではなく、そもそも近代が孕んで、遅くとも20世紀前半には顕わになったことではないのか(例えば、フッサールの『危機』を再読されたい)。或いは、社会学的に言えば「科学」がシステムとして自立した帰結、宗教学的に言えば世俗化の帰結(権威の不在化)。

昔と違って、社会に出ることは視点を広げることには必ずしもつながらない。若い頃の視点が狭いのはしょうがないが、社会人になっても所属する職場や業界の視点を超えることは難しい。以前だったら、人々が共通で生きる生活世界との往復があったのでこうした心配はあまりなかったが、今や共通の生活世界が失われて他の人々がどう考えているかが(少なくとも実感としては)分からなくなっている。自分の所属する職場や業界への狭い適応を超えることが出来ず、結果としてますますネオリベな世界を増長させることになる。
これにしても、サラリーマンが定年退職になって、「所属する職場や業界」と切れて、さあどうしましょうという仕方で、かなり以前から問題にはなっていた。但し、これはちょっと複雑な事情があるように思われる。「生活世界」という言葉をフッサールやシュッツの文脈を離れて使うというのはあまりしたくないのだが、それはさて措いて、「人々が共通で生きる」相互に理解可能性が高い(と思い込まれている)世界が国民的規模で成立するのは寧ろ戦後の経済成長とマス・メディアの発達或いは中等教育・高等教育の大衆化の効果ではないかとも思うのだ。戦前は未だ階級やら地域の壁は高く、余所の階級・地域などの異文化度は今よりも高かったのではないかと思われる。日本における共通文化の指標として、NHKの『紅白歌合戦』が語られることは屡々ある。伯剌西爾でも南極でもどこでも、『ゆく年くる年』とセットになった『紅白』を視ることで、日本という想像の共同体にコミットしているとか。あるいは、『紅白』の視聴率が落ちれば、日本における文化的統合が緩んでいるとか等々。しかし、忘れてならないのは、戦前においては、全人口の数十%の日本人が大晦日にラヂオ*1の前で同じ番組を共有するなどということはなかったのだ。そのような全国民的メディア・イヴェントは昭和20年8月15日の玉音放送まで俟たなければならなかった。

*1:勿論、当時はTVはなかったが。