「共振する世界の対象化に向けて」(メモ)

承前*1

土曜日、成城大学で開かれたシンポジウム「共振する世界の対象化に向けて−グローカル研究の理論と実践−」*2を聴きにいく。とはいっても、午前中に行われた川田順造先生の基調講演は聴くことができず。以下若干のメモ。
大谷裕文氏の報告。glocalization研究の系譜。先ず、グローカリゼーションの核心として、「資本」の問題を外すことはできないという。起点としてのスチュアート・ホールのglobal/local概念。CSの社会人類学に対するインパクト。トンガの人類学者Epeli Hau'ofaの研究/実践。「海の彼方からの資本作用」による「互酬性」の崩壊。グローバル化への対抗としての「海洋文化論」−−「リージョナルな海洋政治イデオロギーアイデンティティ」の提唱。ニュージーランドの経済学者、Geoffrey Bertramの「MIRAB経済論」。MIRABとはmigration(移民)+ remittance(仕送り)+ aid(援助)+ bureaucracy(官僚制)。特に、グローバル化に対するローカルの側の〈対策〉としての移民、そして親族の多国籍化、またそれによる国境を超えた資本の融通。
小田亮氏の報告。ネグリ&ハートがローカルなものに依拠してグローバルなものに抵抗することを無益・有害であると批判したことを反駁して、「グローカリティという思想」を、ジョージ・リッツァの「無」/「存在」の対立を介して、擁護すること。小田氏によれば、ネグリ&ハートが語っているのは「一般性−特殊性」という軸においてであり、「普遍性−単独性」という軸を無視している。「グローカリティという思想」がフォーカスするのは後者の軸である。
上杉富之氏の報告。韓国済州島*3の日本の鳥羽を巻き込んでの、「海女文化」のユネスコ世界無形文化遺産登録運動について。「韓国・済州島と日本の鳥羽という言わばローカルな国の中のさらにローカルな地域同士が直接に結び付き、期せずして、グローバルの文化概念の再考ないし再編を迫るという新たな文化現象」。ユネスコ世界遺産登録は圧倒的に欧米に偏っていること。〈木の文化〉に対する「石の文化」。そこに由来する文化の「不変性」概念。「海女文化」を世界無形文化遺産に登録することは、新テクノロジー(「海女文化」の場合は水中メガネやフィン)を随時取り込みつつ同一性を保持する「生活文化」をオーセンティックな文化として承認させること。また、ユネスコには文化は国民社会(国民国家)を基盤としたものであるという前提がある。「海女文化」世界無形文化遺産登録運動は、「特定の地域や国、民族の境界を越えて分散」する「分散型文化」、「ネットワーク状に結び付いている」「ネットワーク型文化」の承認を迫ること。
東谷護氏の報告。1969〜1971年の岐阜県中津川の「全日本フォークジャンボリー」を、実際に企画・運営した地元の若者の側から考察する。その地域史的な背景としての岐阜県恵那地方における戦後の教育運動。また、この地域で労音運動が盛んであったこと。
小島孝夫氏の報告。先ず鯨についての基礎知識。クジラ(Cetacea)はヒゲクジラ亜目とハクジラ亜目(海豚を含む)に分けられる。IWCの新たな議長案−−「日本が求めてきた商業捕鯨の再開を認める代わりに、南極海での調査捕鯨の捕獲数を減らすことが盛り込まれている」。千葉県南房総市和田の事例。和田ではツチクジラ(ハクジラ亜目 )を獲っている。ツチクジラの肉質は「生食」には向かない。「タレ」という干肉。その料理法の伝承の稀薄化。ローカルな食文化としての鯨肉とナショナルな代用食としての鯨肉。日本人一般が鯨肉を食べるようになったのは第二次大戦後のことであり、生活水準の向上とともに周辺化された。
北山研二氏の報告。ジャポワズリとジャポニスムの区別。印象派、ポスト印象派アール・ヌーヴォーへの影響。「ジャポニスムグローバル・スタンダードの欧米的美学基準をローカル・レベルから転換させ、再グローバル化したのだから、先駆的グローカル現象と見なせるだろう」。ジャポニスムオリエンタリズムの区別。浮世絵への遠近法の輸入(中国経由?)と遠近法を取り込んだ浮世絵の再輸出。ところで、下から上向きの視線で描かれた橋というテーマは浮世絵の影響である。
コメンタリーの中から、前川啓治氏の(グローバル→ローカル/ローカル→グローバルという)作用の同時進行を考えなければいけないという発言と、湖中真哉氏のグローバライゼーション自体がグローバルな言説空間であり、その空間の中で遂行的に構成されていったのではないかという発言をメモしておく。
それから懇親会は無料。気前がいいぜ<成城大学