- 作者: 青木保
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2003/06/21
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青木保*1『多文化世界』からのメモ。
「国際化」と「グローバル化」。「国際化」という言葉が廃れて「グローバル化」に取って代わられたのは所謂冷戦の崩壊と関係があるという。
社会主義的な平等主義の行き詰まりが露呈したのが、八〇年代の終わりから九〇年代の初めで、そこに第二次世界大戦と同じくらいの衝撃力を持つ世界の画期が訪れました。そのあとに出現したのは(略)世界には自由主義か社会主義かといった対立だけでは決して捉えることのできない多様な文化や価値、あるいは異なった民族や地域が存在し、また近代世界ではある意味否定され、社会主義社会では抑圧された宗教が、人間の価値として生々しく存在するという現実であったわけです。
それとともに、一九九〇年代の東西イデオロギー対立の解消後、大きく展開されたのは、情報機器の発達を中核にしたグローバル化の動きです。世界が二つの対立するイデオロギーのブロックに分かれていた時代には、簡単にグローバル化という言葉は使えませんから、国際化という言葉がよく使われたと言うこともできるかと思います。いまでも国際化という言葉は使われますが、グローバル化のほうが一般的になっています。
日本でも一九八〇年代にはさかんに国際化が必要であると言われました。その場合の国際化の内容は、或る意味ではアメリカや西ヨーロッパの近代世界が発達させてきた物事の基準に適合させることでした。国際化への適合の必要というのは、日本の文化と社会がつくりあげてきた欧・米型とは違ったシステムを、アメリカや西ヨーロッパの持ついろいろなシステムに適合させなければいけない、という意味で言われました。
いろいろなレベルで国際化という言葉が使われるにしても、その基準は、たとえば日本にとっては、自由主義世界の欧・米がつくりだし、しかも日本が参加することによって利益を受けると思われるような経済・金融市場化であり、人権や民主化といった言葉で表される政治システムであり、科学技術の発展をいかに利用するかという点での国際的な基準といったことでした。日本も一部はその発展に貢献しつつ、日本的なシステムをそれに合わせていこう、あるいは合わせなくてはいけないという動きであったのです。
つまり、日本が国際化と言った場合には、旧ソビエト圏や中国は視野に入っていなかったわけで、適合させなくてはいけないモデルやシステムとしてそれらの国々や地域を捉えることは、全くなされませんでした*2。ですから、社会主義圏には社会主義圏の中での国際化があるというように了解されていたことになります。ロシア・システムや中国システムということなのでしょう。私はタシュケントで、ロシア・システムの作用を目の当たりにしました*3。これからはむしろアメリカ・システムに変わるという人もいますが、言葉も含めて、そこに働くシステムはロシア・システムでした。
しかし、東西のイデオロギー対立がなくなった一九九〇年代には、国際化と言う場合にも、ソビエト圏であれ東欧圏であれ等しく守らなくてはいけない、あるいは達成しなければいけない世界のモデルがある、と認識されてきました。そこで出てきた言葉がグローバル化、全地球を覆う形での展開と捉えられる言葉です。グローバル化という言葉には論者によってさまざまに異なる意味が付与されていますが、この言葉が広く使われるようになったのには、そうした背景があると思います。(後略)(pp.22-24)