綿矢りさ『インストール』

インストール (河出文庫)

インストール (河出文庫)

既にSkelita_vergberさんが綿矢りさの新作について書いてらっしゃるのだが*1、私は最近ようやくデビュー作の『インストール』を読んだ。
ストーリーは、主人公の女子高校生「朝子」が突然不登校になり、小学生「かずよし」の手引きで、「かずよし」の部屋の押入れで、代役としてインターネットのエロ・チャットを行い、大人たちにそのことがばれて、仕事の報酬を受け取ったところで、物語は終了する。また、小説は「朝子」が「私」という一人称を使って語っている。文庫本の裏表紙には、「押入れの秘密のコンピューター部屋から覗いた大人の世界を通して、二人の成長を描く」と書いてあるが、これが「成長」の物語なのかどうかはわからない。また、これが発表されたときに作者が17歳だったということもそれほど興味があることではない。さらに、作品の中でネタとして使われるエロ・チャットということもそれほど興味があることではない。ただ、マンションが舞台で、小学生が年上の女の子を新しい世界に手引きするという結構は、岡崎京子の『ジオラマボーイ パノラマガール』を想起させるということは言っておきたい。

ジオラマボーイ パノラマガール (Mag comics)

ジオラマボーイ パノラマガール (Mag comics)

多分、鍵となるのはタイトルでもある「インストール」という言葉だろう。記憶では、「インストール」という言葉が登場する箇所は1箇所だけである;

音が大きい! と驚いて言うと子供は、
「インストールし直したせいで起動時の音量も初期の大きさに戻ったんだと思います。」と答え、押入れの外から手を伸ばしマウスを手に取った。
「インストールって何?」
「ディスクなんかを使ってコンピューターに新しい機能を取り入れることです。でも僕は、インストールをしたんじゃなくて、インストールをしなおした、つまりリセットしただけです。」(p.54)
ここで「かずよし」が言っていることが正確なのかどうかは問わない。しかし、「インストール」が全編を理解する上で鍵言葉であることはたしかだ。また、重要なのは「インストールをしたんじゃなくて、インストールをしなおした」ということだろう。ここでいう「インストール」というのは実はリインストールなのだ。
この小説は〈初期化〉から始まるといえるだろう。「無遅刻無欠席」(pp.12-13)だった「朝子」が「早速登校拒否児」(p.14)になる。そして、自分の部屋にあったものを一切合切捨ててしまう(アンインストール?)。そのようにして、自己を初期化して、「雅」さんという子持ちの風俗嬢兼エロ・チャット嬢の人格を「インストール」してみる。さらに最後は、エロ・チャットの報酬で、「机とか扇風機とかバカボンドとか」を買い戻そうとする(pp.133-134)。これらは最初の方で捨てたもの。つまり、一度アンインストールした以前の自己をリインストールしようとするのである。
アンインストールを動機付けるもの、それは

まだお酒も飲めない車も乗れない、ついでにセックスも体験していない処女の一七歳の心に巣食う、この何者にもなれないという枯れた悟りは何だというのだろう。歌手になりたい訳じゃない作家になりたい訳じゃない、でも中学生の頃には確実に両手に握り締めることができていた私のあらゆる可能性の芽が、気づいたらごそっと減っていて、このまま小さくまとまった人生を送るのかもしれないと思うとどうにも苦しい。もう一七歳だと焦る気持ちと、まだ一七歳だと安心する気持ちが交差する。(…)(p.24)
という(実は既に自分が何者かであるにも拘わらず)自分は何者でもないという感覚だろうか。それを深刻に受け止めるのではなく、人格でさえも、エロ・チャットの「アルバイト」で実践したように、ソフトを「インストール」するようにとにかく動かしてみればいいこと。また、自明であると思っている自分という存在もそもそもは誰かが「インストール」したものにすぎないと気づくこと。そうしたことどもが「成長」ということなのだろうか。
一方で、「朝子」は自分の悩みが大したものではないことにも気づいている。マンションの「屋上へ続いている階段に座」(p.34)るシーンを(長文ではあるが)引用してみる;

(略)屋根が無いので、太陽の光が何にも遮られることなく直接この階段の白いコンクリートの上に降り注いでくる。風通しも抜群で髪はばさばさとはためき、頭上の高く青い空まで吹き飛ばされそうなほどの強い風が薫る。そして何よりも目の前のこの絶景、といっても下に広がるのはマンションについている平和な大きい公園だが、11階建てのマンションの屋上の高さから下を見下ろすと、それだけでぐらっとくるような迫力があるのだ。ここはそんな、人を雄々しくさせるような爽快な場所なのであるが、しかし私以外の人がこの階段を使っているのを見たことは本当に少ない。(略)つい最近、今年の四月に大学生の男が自分の意思でここから落ちた。春を、越せなかった。その大学生も最期掴んだであろう肩までの高さのコンクリートから大きく身を乗り出してみたら、恐怖で一気に力が萎えた。開けっぱなしになっている口からよだれが垂れて、それが糸を引きながら果てしなく下へ落ちていく。身体が震え、頭の重みが気になった。死んだ学生はこの本能の怯えを我慢できるくらいに現実に怯えていたのだと思うと、私なんか全然だ。と真面目な気持ちで思った。(略)(pp.34-36)
この小説の特徴は「朝子」や「かずよし」が〈いい大人〉たちに見守られているということだろう。2人の母親がそうなのだが、「英文系の私のクラスでただ一人の男子生徒」(p.13)である「光一」も(こいつはちょっと嫌な奴だが)やはり「朝子」を見守る〈大人〉的な存在である。こういう設定が物足りない、世の中には〈大人〉から完全に見離された孤独な少年少女は沢山いるぞと思う人も多いのかも知れない。でもこの設定はこれでいいのだと思う。自分の悩みなり反抗なりというのは〈大人〉に見守られていることを前提にしたものだと気づくのも「成長」であるといえるからだ。
文庫版にボーナス・トラックとして収録されている書き下ろしの短編「You can keep it.」の主人公「城島」は寧ろそうした孤独な少年に近い。「城島」が他者を自分に繋ぎ止めようとするのは「物を撒く」(p.139)ことによって。これは小学生の時に「オーストラリアからの転校生」(p.144)から学び取った戦術だ。タイトルになっているYou can keep itも彼の言葉に由来する(p.145)。「健康的でしなやか、これまでも、そしてこれからもずっと好みであり続けるだろう女の子の典型」(p.149)である「綾香」に贈り物をしたけれど、逆に不信感を持たれ、問い詰められるという話。こういう痛い奴というのはけっこうどこにでもいそうな気はするけれど、「授業が始まった」という一文でこの短編は閉じられる。授業の開始によって、「綾香」の問い詰めるような視線から取り敢えずは逃れることができた。今後の悲惨さを予想させる。