『スラムドッグ$ミリオネア』についてメモ

http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50923317.html


ダニー・ボイルの『スラムドッグ$ミリオネア*1について。先ず、この映画における主人公ジャマールの語りと記憶と時間性について、浅野智彦氏の『自己への物語論的接近』や片桐雅隆氏の『過去と記憶の社会学』を援用しての考察。Skeltia_vergberさん、以前も『夕凪の街 桜の国』における記憶の問題に言及していたけれど*2、ここでの思考をもう少し洗練させれば、理論社会学デビューできるんじゃないか。

自己への物語論的接近―家族療法から社会学へ

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過去と記憶の社会学―自己論からの展開

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夕凪の街 桜の国 [DVD]

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さて、Skeltia_vergberさんは、

そもそもこの映画で前提となるのはグローバルな文化、ならびに文化産業としてのメディアやスポーツ、フォークロアの流通も指摘しなければならないだろう。つまり映画の大前提となっている『クイズ$ミリオネア』は元々がイギリスのテレビ局が制作したものを現在では世界80ヶ国で同様のスタイルで放送されていること。さらには映画の舞台となるインド、さらにはムンバイでもテレビの重要なコンテンツになり、それが一般のニュースまで派生していることだ。そしてこの映画が配給されるそれぞれの国や地域でも『クイズ$ミリオネア』は存在していることが前提となっているだろう。
と書いている。これは知りませんでした。「グローバルな文化」として、さらに『三銃士』や「クリケット」が挙げられているのだけれど、先ず「クリケット」に関しては、「グローバル」というよりは、印度やパキスタンが元英国殖民地であり、現在も英国文化圏に属しているということなのでは? 『三銃士』の方が「グローバル」に関しては重要だろう。私たちは学校教育とかメディアを通じて、「グローバル」な(世界文学全集的な?)教養を身に着けてしまっており、そのことを自明視している。これに関連して思い出したのは、1980年代の中国における翻訳に対する熱気である。中国史において、あれほど短期間に大量の文学書や学術書が翻訳されたというのは、日清戦争敗戦後に匹敵するか、或いはそれを超えるんじゃないだろうか。文化大革命の悪夢から醒めて、世界から文化的に孤立しているんじゃないかという危機感を多くの中国人が抱いたということはよく語られる。
それから、『スラムドッグ$ミリオネア』において、グローバル化との関係で重要なのは、寧ろジャマールが働いているコール・センターなのではないだろうか。たしか、原作小説では、主人公はバーで働いている設定になっていたのではないか。印度とグローバル化或いは新自由主義とが関連づけられて語られるとき、必ず出てくるのがコール・センター・ビジネスである(例えば、Andrew Ross Fast Boat to China*3、Arundhati Roy*4『誇りと抵抗』)。映画の中で、コール・センターのオペレーターと雑用係のジャマールの格差がマークされているのだが、それはともかくとして、現在の製造業では顧客サポートは重要な要素になっているが、そもそもサーヴィス労働は、消費される現場で行わなければならないので、製造と違って、労働力価格の廉い外国へアウトソーシングすることはできない。その筈だったが、IP回線の普及による国際通話の大幅な値下がりによって、印度のような労働力価格の廉い(しかも英語圏に属する)場所から先進国の消費者向けのサポートが可能になった。これによって、先進国内の非正規労働者はさらに泣きを見ることになる*5
Fast Boat to China: Corporate Flight and the Consequences of Free Trade; Lessons from Shanghai

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誇りと抵抗 ―権力政治を葬る道のり (集英社新書)

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http://d.hatena.ne.jp/dojin/20090420/p1は、『スラムドッグ$ミリオネア』の背景としてのボンベイ(ムンバイ)の「スラム」についての基礎的情報。ただ、この映画は「スラム」の喪失によって物語が稼動されているとも言えるのだ。ヒンドゥー原理主義者の襲撃によって、親を殺され、「スラム」の家を失ってしまうことによって。また、乞食の親方のところから逃げ出して、汽車に乗ることによって。また、Skeltia_vergberさんが言及しているムンバイの世界都市への変貌も。