佐藤弘夫『神国日本』

神国日本 (ちくま新書)

神国日本 (ちくま新書)

佐藤弘夫『神国日本』(ちくま新書、2006)を暫く前に読了する。
先ずは目次を書き写しておく;


はじめに

序章 神国思想・再考への道
第一章 変動する神々の世界
第二章 神と仏の交渉
第三章 神国思想の成立と変容
第四章 神国思想の歴史的意義
第五章 疎外される天皇
終章 神国の行方

あとがき
引用・参考文献一覧

本書は例えば1937年に文部省によって刊行された『国体の本義』に代表されるような「神国思想」観(cf. 15-17)を徹底的に相対化することを目指している。或いは、そのようではない「神国思想」を提示することを目指している。著者にとって、「神国思想」は「その中身について議論する余地を残さないほど自明なもの」ではない。寧ろ「私たちは神国思想をあれこれ評価しようとする以前に、神国思想そのものの内容分析に、腰を据えて正面から取り組んでみる必要があるのではなかろうか」(p.12)と問いかける。
本書で著者が「神国思想」を巡る「常識的イメージの幻想性」(p.198)として徹底的な相対化を試みるのは、次のような「神国思想」観である;

これまでの常識的な理解では、神国思想は天皇を主人公とするこの神聖な国土を日本固有の神々が守護するという理念だった。それは日本列島とそこに住む人々を聖化し他の諸民族から区別しようとする強烈な選民意識であり、自民族中心主義の思考だった。
この神国思想が始動する契機となったのは、鎌倉時代の蒙古襲来であった。古代から鎌倉時代の前半に至るまで、この列島は圧倒的な外来文化の影響の下にあった。その代表的なものが仏教だった。仏教の世界観によれば、日本は世界の中心から遠く離れた大海の中の小島(辺土粟散)であり、悪人が群れ集う世紀末の暗黒社会だった。
こうした否定的な国土観は、鎌倉時代の後半に入って一挙に逆転する。蒙古襲来という対外的な危機に触発されて勃興した神国思想は、日本の国土を神孫が君臨し神々が守護する聖地として丸ごと肯定した。その上で、他国に対する日本の優越を強く主張していくのである。
神国思想の流行は文化的な側面から見れば、「日本」的なるものの自覚と深く結びついていた。外来文化・大陸文化が厚く表層を被っていた時代は終わりを告げ、以後室町時代・江戸時代と継続する、「日本人」による「日本固有」の文化の創造が本格的に開始されるのである……。(pp.194-195)
著者は相対化に成功していると思う。多分、今後「神国」について語る場合はこの相対化を前提とするというのは必須になるだろう。ただ、現在において「神国思想」を語る意味について叙述している最後の部分(p.214ff. 終章「神国の行方」4「神国思想と現代」)は、言葉が上擦っているというか、抽象的な指針を述べるに留まっており、この寸前で読むのを止めても可であると思う。
本書の魅力は著者が具体的な古代や中世のテクストを読みつつ、「神国思想」の骨組を露呈させていく身振りにある。興味深い論点や事例が満載なのであるが、これについては後日言及することにする。ただ、幾つか興味深いものを挙げれば、著者は中世的世界像を構造化していた要として、「垂迹」という概念を挙げる。これは日本の中世的世界像と(取りなしという概念を軸とする)ヨーロッパ中世のカトリック的世界像との比較の足掛かりとなるのではないだろうか*1。また、著者によれば、「近世」「近代」における「神国思想」の変容の重要な背景のひとつは「中世前期(院政期・鎌倉期)において圧倒的なリアリティを有していた他界観念の縮小と、彼岸(あの世)−此岸(この世)の二重構造の解体」(p.200)である。これは所謂〈世俗化〉の問題であろう。これを詰めていけば、基督教を背景としたヨーロッパ型の世俗化とは違った、日本というコンテクストにおける世俗化を概念化できそうだが、これについての賛否は慎重に留保しておこう。

*1:ピーター・バーガーは所謂宗教改革を〈取りなし〉によって構成される世界の崩壊として描いている。

聖なる天蓋―神聖世界の社会学 (1979年)

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The Sacred Canopy: Elements of a Sociological Theory of Religion

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