中世のディスコース

http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20080111/1200048672で、『朝日新聞』に載ったという高橋昌明氏のコメントが紹介されている。紹介を読む限り、ポイントは2つあって、先ず武士/貴族(公家)の表象の問題、そして日本史のディスコース西洋史ディスコースとの関係。封建制度というのは、一方では明治以来日本の近代主義者たちが目の敵にしてきたものであると同時に、他方では、封建制こそが近代化を準備したということで、日本を具体的には中国や朝鮮から、理論的にはマルクス亜細亜から切り離すことを正当化してきたといえる。石母田正の「領主制理論」が言及されているが、そもそも歴史を古代/中世/近代に分割するということ自体が舶来の事柄であるとはいえる。

中世的世界の形成 (岩波文庫)

中世的世界の形成 (岩波文庫)

さて、偶々http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20080107で、堀米庸三『正統と異端』という書名を見た。この本は、カトリック修道院制度の起源の(私の)理解には大きな影響を与えているし、またこの本から近代の思想的起源に強烈な主観主義があるということも学んだ。この本は現代史におけるスターリン主義 vs. トロツキズムという枠組を中世の基督教世界に投影しているところがあるのだが、さらに日本史に投影されて、例えば黒田俊雄の〈顕密体制〉論に影響を与えている。〈顕密体制〉論は所謂鎌倉仏教を相対化するものなのだが、その鎌倉仏教を特権化する言説もヨーロッパの宗教改革についての言説抜きには存立しえなかったのではないか。左翼の歴史家にとって、例えば一向一揆は日本版〈独逸農民戦争〉のノリだったんじゃないか。
寺社勢力―もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版 117)

寺社勢力―もう一つの中世社会 (岩波新書 黄版 117)

ドイツ農民戦争 (国民文庫 9)

ドイツ農民戦争 (国民文庫 9)

「武士/貴族(公家)の表象の問題」の問題だが、岡野友彦『源氏と日本国王』の「はしがき」で、「「権謀術数」を用いた(とされる)公家政権の支配より、正々堂々と「武力」を用いた(とされる)武家政権の支配の方に、「正当性」を感じてしまう「美意識」のようなもの」について、

たとえば、松の廊下で「逆ギレ」して刃物を振り回した浅野内匠頭や、そんな主君への処罰を「逆恨み」して吉良邸でテロを働いた赤穂浪士たちが「善玉」で、最初から最後まで無抵抗・非暴力を貫いた吉良上野介が「悪玉」なのはなぜだろう。また、およそテレビの時代劇に登場する公家・貴族は、常に陰険で薄気味悪く、化け物のようなメイクアップをしているのはなぜか。源平合戦モノに登場する平家一門、「北条時宗」に登場した宗尊親王、「太平記」に登場した北条高時、戦国時代モノに登場する今川義元足利義昭などもまたしかりである。もちろんこれは、実際の彼らがそろいもそろって「陰険」であったことを意味するものではなく、「武力」に「正義」を感じ取る「美意識」が、ドラマづくりに影響したものに相違ない。(p.7)
と述べられている。
源氏と日本国王 (講談社現代新書)

源氏と日本国王 (講談社現代新書)