1970年代後半――保坂和志

強引にhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070708/1183872737に関連させつつ。

保坂和志氏が


 「学校という場所——未履修問題と子どもの自殺について」http://web.soshisha.com/archives/world/2006_1130.php


というテクストの中で、


私より数歳年下の、だいたい1960年以降に生まれた人たちの文章を読んでいると、政治の力学に敏感な印象を受けることが多いのだが、これも学校の授業内容が影響しているのだろうか? 日本が右傾化し始めたのは1970年代後半——昭和でいえば50年代、戦後でいえば30年経ったあと——あたりからだから、話としてはつじつまが合う。
と書いている。さらに、

だいたい1950年代(昭和30年代前半まで)に生まれた子どもたちは、「平和ボケ」と言われようがどうしようが、ほとんど天然の平和主義者、反戦論者のはずなのに、1954年生まれの安倍晋三タカ派なのがおかしい。彼は同級生の友達とあんまり遊ばなかったんじゃないか?
 その証拠をひとつ、先日の日米野球の始球式で押さえた。彼はボールをちゃんと投げられなかった。私のちかくの世代は遊びといったら野球と決まっていたのだから、ちゃんと遊んでいた子どもがあんなボールしか投げられないはずがない。
 彼は政治家一族の3代目として、まわりの子どもたちと交わらないように育てられたに違いない。子ども同士のあいだでは、今は違う気がするが少なくとも1950年代生まれまでは、親の財力とか家柄なんか関係なく、運動神経がいい子どもと気が強い子どもがグループの中心になった。安倍晋三の親たちはそれを見越して、彼が劣等感を持ったり変な人間味を持ってしまったりすることを警戒して、それを未然に防ぐためにまわりの子どもたちと遊ばせなかったのではないか?
と。ところで、「日米野球の始球式」ってそんなに話題になったのか。 
さて、1970年代後半といえば、Talpidaeさんが本多勝一『子どもたちの復讐』を取り上げている*1