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http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131107/1383791427に対して、


nessko*1 2013/11/07 13:46
昔だと、キャロルとか矢沢とかいましたよね。少し後になると、横浜銀蠅とか。チェッカーズ、シャネルズも気風はそれでしょう。また、メジャーにまで出てこない、名前を知られていないバンドでヤンキー系はけっこうあります。
小室哲也は、音楽スタイルはともかく、感性はヤンキー系に近い。
最近なら、ジャパレゲと呼ばれていた一群は、ヤンキー系だったですよ。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131107/1383791427#c1383799587

Talpidae*2 2013/11/09 00:48
上に同意。RCだってその気はあったし、パンクもアナーキーなんかだとそうですよね。日本語のロックの受容層の主流ってそもそもヤンキーだったのではという思いは禁じ得ず。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20131107/1383791427#c1383925728
けっこう肯ける。もしかしてロック/ヤンキーの起源は安岡力也に遡れたりして、とも一瞬思った。ただ、そもそもの川瀬見つばさ氏のテクストには「わが国では今世紀に入ってから、むしろ権力や権威と結びついた俗にいう「ヤンキー系ロック」が力をつけ、精神科医斎藤環氏は「薄い毒を予防的に注入して強力な毒になるのを防ぐというワクチン的な効果を発揮」し(斎藤環『ヤンキー社会の拡大映す』〜2012.12.27朝日新聞朝刊〜)つつ、日本独特の治安維持回路となっていることを指摘した」とあります*3。上のコメントでも、川瀬見さんのいう21世紀に入ってから「力をつけ」たということは説明できず、依然「 ヤンキー系ロック」って誰よというのは謎のままという感じがします。さらに、川瀬見さん(或いは彼が依拠している斎藤環氏)のいう「ヤンキー」*4は上で前提としている(キャロルや横浜銀蝿と結びついた)輪郭づけられたサブカルチャーと同じではなく、あくまでもナンシー関的な「日本人の心性に隠れるバッドテイストなもの」*5、「どんなに頑張っても今いち垢抜けず安っぽい趣味に染まりやすい田舎者」*6といった漠然とした意味にすぎない*7
さて、


佐久間正英*8鈴木健士「佐久間正英からの提言(前編)〜日本人が海外のバンドに勝てない理由、これからの戦い方」http://mutant-s.com/special-interview01_01/


曰く、


鈴木:僕らの世代からすると*9、今のバンドが殆ど海外の音楽からの影響を受けなくなっている。そこらへんの起因はどのようなものがあると思いますか?

佐久間:そうですね。僕もそのことがずっと不思議で、時代的にBOOWYの時代、日本のロックが主流になって以降ずっとそうで、確かに日本のロックと海外のロックは全く別物になってしまいました。

鈴木:BOOWYミスチルの功罪というか、今若いバンドが影響を受けるのが大体この2バンドとかGLAY 、彼らはこれらのバンドのルーツを掘ることをしない。「どうして氷室さんが影響を受けたアーティストまでいかないのか?」広義でいうルーツミュージックに辿りつかなくなっている。

佐久間:情報が無かった故に見えた部分と、情報が多いから偏ってしまう、この両方があると思います。パンクならTHE BLUE HEARTSにしても、本人たちはブルーズの影響が根底にあって、たまたま日本語で歌ったらああいう歌になっただけで、後から影響を受けた世代が過剰に神様に祀り上げてしまっている部分もあるんじゃないでしょうかね。
日本のロックが海外の音と別になった背景について、知り合いには佐久間さんがA級戦犯だと言われまして(笑)。あともう一つ最近、北関東の田舎に住み始めて気づいたことなのですけど、日本特有のヤンキー文化の影響というのが大きい。ドメスティックなものになった理由や海外のものを取り入れない風土、あの独特の強さを強調する部分が、海外の感覚からずれちゃっている。こんなこと全然考えたことが無かったんですけど、最近になってよくよく考えると整合性がとれるんです。

Before and After BOOWYで何かが決定的に変容したということは以前から薄々感じていた。たしか、(BOOWYという名前は出していなかったけれど)村上龍もこうしたことについて何か書いていた筈。ところで、鈴木さんはこの後、

鈴木:EXILEとかもその系譜に入りますよね。確かに海外のR&Bとはかなり違った形になっている。よく言われる「日本のヒップホップが上の世代にはちっともかっこよく聴こえない」というのも、僕らの世代的に70年代の日本語のロックはかっこよくないと言われた葛藤と全く同じ状況にあるような気もしますね。
ボブ・ディランが出て来て、1969年のウッドストックの時点で日本語がロックに合う、合わないという議論があって、実際はその頃から、日本のロックと海外の音は明らかに違っていた。
と発言して、或る意味で話を混ぜっ返してしまっている。「 日本のロックと海外の音は明らかに違っていた」にせよ、その〈違い〉或いはギャップが意識されていた時期と意識に上らなくなった時期があるということでしょ。


ところで、日式レゲエつまり「ジャパレゲ」と「ヤンキー」を巡ってはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101007/1286379776を参照のこと。