寿司(グローバルに、ドメスティックに)など

先ずはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080725/1216998184http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080728/1217262521に関連してということで、Skeltia_vergberさん曰く、


ちなみに、ワタシは世代的にレコードを買ったことがないです。音楽を聴き始めるようになった最初の頃からCDでした。もちろん中学生の頃は、1枚1000円のシングルCDを買うのだけでも、高価なものを買っているという意識があり、CDアルバムは親がたまにご褒美で買ってくれるもので、自分のお小遣いではなかなか買えませんでした。その頃は、レンタルショップTUTAYAみたいなとこ)で、そのときの流行を借りて、せっせとカセットテープにコピーしては、付属の小さなケースにアーティスト名とタイトルを手書きで書いていました。
http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50584283.html
私が若かった頃は、まだ「レコード」*1の「レンタルショップ」というのはなかった。そういうのができたのは1980年代に入ってからじゃないか。それよりも、友人同士で「レコード」の貸し借りをするということが多かったと思う。それから、カセットですが、他人から借りた「レコード」じゃなくて自分の所有物の場合でも、「レコード」は(盤が磨り減るのが怖くて)実際には殆ど聴かず、買ってくると、カセットに落として、専らそっちの方を聴いていた。多分、そういうことをしていたのは自分だけじゃないと思う。
また、

ところで、本の場合、そのデザインを生業とする「装丁家」が確立しているが、レコードジャケットやCDジャケットを制作する人たちは「装丁家」として、もしくはデザイナーとして、その業界で独立しているのかが気になった。そのようなシステムが確立されていないから、「昔はよかった」とか言っちゃう人がいるのかなぁ?
LP時代だと、ジャケット・デザインの大家として、ヒプノシス(Hypgnosis)というティームがありましたね。彼らは世界のグラフィック・デザインの歴史上画期的な役割を果たしたのでは? ピンク・フロイドやレッド・ゼッペリンのアルバムのデザインで有名だったわけだが、特に1970年代の後半になると、どのアーティストも競ってヒプノシスにデザインを依頼するという状況が生まれていたと思う。思いつくままに列挙すると、10CC、ウィッシュボーン・アッシュポール・マッカートニーブラック・サバス、UFO、ピーター・ゲイブリエルスコーピオンズ、それからYESとか。また、たしかヒプノシスの殆ど最後のクライアントは松任谷由美だったと思う。1980年代になると、ロックにおけるヴィジュアルの中心は寧ろPVに移り、グラフィック・デザイナーではなく、ゴドレー&クリームのようなPVの監督が注目されるようになる。CD時代に入ってから、かつてのヒプノシスに匹敵する名前を聞かないのは、もしかして、ただの私の無知のせいかもしれない。因みに、CDジャケットのデザイナーとして、信藤三雄は日本だけでなく亜細亜のアーティストでもデザインを依頼する人が多いということは申し述べておいてもいいのかも知れない。
さて、Skeltia_vergberさんのhttp://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50597768.htmlにて、サーシャ・アイゼンバーグ『スシエコノミー』という本を知る。寿司のグローバル化ということだが、グローバル化ということだと、寧ろ(寿司のグローバル化と平行している筈の)〈山葵のグローバル化〉の方が気になったりする。また、ドメスティックな話だが、スシというのは元々ナレズシであり、米飯は魚を保存するための手段でしかなかったわけだが、それが酢飯を意味するようになり、さらにちらし寿司や(大阪風の)押し寿司とかを押しのけて、現在では一般に寿司という場合、江戸風の握り寿司を指すということになっている。寿司のグローバル化も江戸風の握り寿司の全国化=国民化(nationalization)を前提としている。Skeltia_vergberさんは、

この本を読んでいる間中、ずっと寿司を食べたくなった。回転寿司でもいいんだけど。それにしても個人的なことですみませんが、ワタシは高校生で初めてバイトしてお給料をもらった時まで寿司を食べたことはありませんでした。そういう土地と家庭に生まれたんだろうなぁ。でも今ではお寿司大好きですよ。あんまり食べにいく機会はないけれど。
と書いている。ここでいう「寿司」とは狭義の(握りという意味での)寿司だろうか、それとも酢飯という意味だろうか。私が子どもの頃は家で食べる寿司というのはちらし寿司(五目寿司)を先ず意味していたのだが、もしかして、ちらし寿司(特に精進料理としての)というのはヤマトの文化にすぎないのだろうかと思ったのだ。狭義の寿司に戻るが、寿司の大衆化ということに関しては、スーパーの役割は大きいと思う。昔は寿司を食べたければ、外食か出前かという選択肢だったが、現在では先ずスーパーに買いに行こうと思うのではないか。私の記憶では、1970年代のスーパーでは今のように寿司は売っていなかったと思うのだが、如何だろうか。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061214/1166075561

*1:狭義のアナログのそれという意味。