社会科学基礎論研究会(too late)

承前*1

5月の社会学基礎論研究会については既に老大である張江洋直氏が書かれている*2。後れをとってしまったわけだが、忘れないうちに私としてもその感想めいたことを書き留めておこう。
先ず、藤田寛之氏の「シュッツ言語研究ノートにみる〈あなた〉Du-関係と間主観性の問題」は、アルフレート・シュッツの1925年の研究ノート”Spracharbeit”(”Erleben, Sprache und Begriff”)に焦点を当てる。シュッツにとっての基本的問題の1つである類型化論を「名づける」という原初的な所作に遡って基礎づける途を示してくれたということにおいて、聴く価値があった発表だった。ただ(勿論これは聴く側の問題なのかも知れないが)、シュッツにおけるUmweltの他者(Du)の特権性の根拠が伝わりにくかったということもある。また、1925年のシュッツがフッサールベルクソンやカッシラーを如何に読んだのかという問題にもっと集中していただきたかったということも感じた。
シュッツと言語ということで、私は昔シュッツのいう「至高の現実」としての「ワーキングの世界」を自然言語の世界だとする論文をものしたことがあるのだが(汗)、さらにそれを再考してみる必要があるということを藤田さんの発表を聴いて思った。また、2004年にBarberのThe Participating Citizen: A Biography of Alfred Schutzというシュッツ伝が出ていたことを知る。
塚田穂高氏の「教団類型論・再考――宗教運動の展開過程の分析のために――」だが、先ずこれまでに日本の新宗教研究において議論されてきた「教団類型論」についての広範なサーヴェイに対してGood Job! と言っておこう。塚田氏はそのサーヴェイから、「従来提出された類型は、何のための類型かという目的意識が希薄。カタログ的であり、動態論的志向が弱い」という判断を下し、「宗教運動の展開過程の分析に適合的な」類型論を提出することを目差す(p.1)。その上で、「テクスト教団」と「霊能教団」という類型論を提案する(p.4ff.)。「宗教的権威の源泉」の在処をメルクマールにした類型論。この類型論が興味深いことは言うまでもない。例えば、それぞれにおける宗教的エリートの在り方の差異とか。ただ、塚田氏が「テクスト教団」をさらに「伝統テクスト型」と「習合テクスト型」に区別しているのはちょっとどうかなと思う。それは、例えば(塚田氏が例に挙げている)当初は「伝統」的ではなかった「生長の家」の谷口雅春のテクストだって、時間が経過すれば(社会学的な意味での)「伝統」になってしまうからだ。それよりも、「宗教的権威の源泉」としてのテクストへのアクセス可能性、或いはその解釈権等々と面白いことが考察できるのではないかと思う。
田村周一氏の「パーソンズが論じる生と死」。発表それ自体を聴いて、物足りなく思ったのは、パーソンズの”Gift of Life”というテクストがどのような反応を被ったのか、また1970年代以降の米国における生命倫理の議論において、パーソンズがどのように使用されているのかということに言及していただきたかったと思ったからだ。ただ、田村さんが非常に難しく且つ興味深いテーマに挑戦されていることは理解できた。何しろ、それはパーソンズ最後の大作である”Paradigm of the Human Condition”の意味を明らかにすることと関係しているからだ。また、リスク論という側面でパーソンズの思考を考える可能性が提示されたことも申し添えておこう。ディスカッションの方は、(張江さんも書いておられるが)司会者の佐藤成基氏の「司会」を超えた活躍によって、かなり祝祭的なものになったのではないかと思う。また、大谷栄一氏がパーソンズにおいては俗に世俗化といわれている事態はあくまでも宗教的価値の制度化であって云々という発言があったのだが、それを聴いて、パーソンズにとってのアメリカというのは〈良きアメリカ〉だったんだなと不図思ったのだ。というか、(〈外部の脅威〉に怯えて縮こまる〈共和党アメリカ〉ではなく)〈民主党アメリカ〉。
なお、


 塚田穂高新宗教運動における指導者の後継者への継承過程――霊波之光の事例から――」『次世代人文社會研究』(韓日次世代學術FORUM)3、2007、pp.307-322
 『稚内北星学園大学紀要』7、2007/06/05


をいただく。前者は塚田さんの今回のご報告のそもそもの原点になった論文といえるか。後者は張江さんの「メディア論の生成と人工補完」というテクストを収録する。それだけでなく、「稚内富岡幼稚園」の園児によって描かれた『稚内未来図』の550分の1のピースが付録として添付された〈アート作品〉としての大学紀要でもある*3

社会学基礎論研究会の懇親会は出席せず、何を言われたのか想像するとちょっと怖いのだが、西巣鴨大正大学からバスで池袋に行き、さらに西武線に乗って、江古田へ行って、CSFの飲み会に合流。桑江さん、九谷さん、村井ご夫妻、さらには当日昼の部の登壇者の方々、長尾洋子さん、五十嵐さん、さらには今月上海でお世話になる清水知子さんと久しぶりに再会。話題としては、英国のおバカ・ロックバンド、working men’s glam rockであるSladeの話で盛り上がる。あとは、http://blog.livedoor.jp/skeltia_vergber/archives/50315990.htmlも参照のこと。