「い」と「ん」の間

http://d.hatena.ne.jp/yuyake-bancho/20070522


 平岩外四氏が亡くなったので、記者達がコメントを求めたところ、安倍氏

 「父と私と二代にわたって慧眼(けいがん)に接し・・・」と難しい漢語でコメント。

 NHKは、それをテロップで文字化していた。NHKは、フォローしないんだなあ。というか、正しいテロップを出すとまずいということももしれんが。

 「慧眼」とは、物事を見抜く鋭い目といった意味の言葉で、「けいがんに接し」という表現はない。

 それでは意味がよくわからないはずなのである。

 

 この言葉は、「○○さんは慧眼をお持ちで、さすが良く見抜いていらっしゃる」とか、「それに気づいていらっしゃるとは、さすが慧眼ですなあ」といった文脈で使われる。

 親子二代で「けいがんに接し」たというのは、平岩氏の鋭い目に接していたというつもりなのだろうか。

 正しく言うなら「謦咳(けいがい)に接し」である。

 「謦咳」とは咳払いのような声を言うことばで、お話しをお聞きするなど到底もったいないので、せめてしわぶきや咳の声にでも接しさせていただきたいという尊敬の気持ちを表わす表現である。

 「謦咳に接する」で、偉い人にお会いするといった意味で使う。これなら、親子二代にわたり「けいがいに接し」ても分かる。

 普通の会話では出てこない言葉かもしれないが、使うなら正確にやってほしい。まともな大学を出た人なら使えないとおかしい言葉だ。まして一国の首相だ。

例えば「骨折」少女*1を嘆いてみせる人は、もしかしてこのような指摘に対しては揚げ足を取るものではないと言うのかも知れない。しかし、〈間違い〉の水準としては、「骨折」少女も安倍首相も差不多ではある。ただ、どういうフォローがなされるのか(決して上品とはいえない)好奇心はある。
ところで、「けいがん」だが、「慧眼」と書く場合と「炯眼」と書く場合では微妙に意味が異なる。あと、使いたいとは思うけれど、なかなかチャンスのない言葉として、(私には)「畏友」とか「忸怩たる思い」とかがある。
なお、「「い」と「ん」の間 」はカート・ヴォネガットのBetween Timid and Timbuktuからパクったもの。しかし、ヴォネガットにおけるような深遠な意味があるわけではない。