先ず音だろ

「洋楽ファンが本音「歌詞の意味はわからないけど洋楽聴いてる。カッコいいから、サウンドが良いから。」」http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51515915.html


スターダストレビュー」のメンバーのこの発言が問題にされているようだ;


根本 他のメンバーとは違うけど、僕自身の中でずっと海外の、だって(ビートルズの)「シー・ラブズ・ユー」がどんなこと書いてあるか全然知らないで聴いてたんだもん。この曲カッコいい、このサウンドがカッコいいって、僕は(レッド・)ツェッペリンでも何でも聴いてきたので、自分がそういう音の模倣をしていく中で、何となくハッピーエンドやら山下達郎やら小田和正やらユーミン松任谷由実)さん、サザン(オールスターズ)もよく聴いてたね、みんなでね。そういう中でへえこうやって日本語って面白く乗るんだって聴いてたけど、別に日本語をどうしても乗せなきゃいけないっていうふうにからてないから、なんとなく自分たちで書いてたの。ところが、デビューしてからずーっと詞が弱い、詞が弱いって。
http://mainichi.jp/enta/music/kohmi/news/20091007org00m200021000c.html
その後に続くコメントとか、はてなのブクマ・コメント*1を読んだのだけれど、一方でどうでもいいじゃんという感じもし、また他方ですごく重要なことに言及している人は殆どいないなとも思った。
意味ある言葉として歌詞を聴き取れなくて「洋楽」*2を聴いても別にいいじゃんという感じもする。英語や日本語だけでなく、仏蘭西語でも葡萄牙語でもアラビア語でも、その他の言葉でも、いい歌というのは沢山ある。それらの多くは、当然意味ある言葉として歌詞を聴き取れないわけだけれど、リズムやメロディを含むサウンドを、またヴォーカリストの声を愉しむことはできる。勿論、どんなことを言っているのかが理解できればさらに楽しいのだろうけど。そういえば、かなり昔にアイリッシュ・トラッドを何曲か聴いて、そうだゲール語を覚えようと思い、Myles Dillon & Donnacha o Croinin Teach Yourself: Irishを買ったのだが、直ぐに挫折した。まあ、英語の歌でも、例えば英国人が本気でコックニーで歌ったら、多分米国人は聴き取れない。たしか、スタイル・カウンシルのPVで米国人向けに字幕が付いていたものがあった筈。
Irish (Teach Yourself)

Irish (Teach Yourself)

英語の歌詞が聴き取れないというと渋谷陽一もそう。それはそれでいいのだが、彼は歌詞にもけっこう拘る。しかし、英語ができないので、周囲の英語ができる人による訳詞に依存することになる。それによって、(良くも悪くも)観念的になってしまう。ただ、それによって歌詞の重要な側面が隠蔽されてしまうのだ。それは歌詞が、歌が、何よりも音の連なりとして現れるという事実。意味である以前に、言葉である以前に、音の連なりであること。つまり、オリジナルではなく*3訳詞のレヴェルで拘ることは、そうした歌詞、歌の原初的な準位を無視することになる。さて、中途半端であっても英語が聴き取れたりすると、意味に気を取られて、〈音の連なり〉に集中できないということもありうる。その点、(例えば)英語がわからないというのは、意味を気にすることなく、〈音の連なり〉に集中でき、〈音の連なり〉の面白さや美しさを享受できるという有利さを持つともいえるだろう。というか、何もこうぐちゃぐちゃ言うまでもなく、そのような前提の下に、(例えば)「空耳アワー」のような文化もあると言えるのでは? 勿論、そういうことは外国語でなくても、(例えば)日本語でも、某クリスマス・ソングのような奇蹟が起こることもあるのだが*4

思い出したことを幾つか書き出しておく。
北中正和『ロック』によれば、ロックの歌詞における意味か音かという問題は、既にその創成期において、チャック・ベリーかリトル・リチャードかという問題として存在していた。チャック・ベリーは歌詞の物語性や意味を重視したが、リトル・リチャードはそれよりも〈音の連なり〉としての面白さを重視した。例えば、”Tutti Frutti”の最初のヴァース;


Bop bopa-a-lu a whop bam boo
Tutti frutti, oh Rudy
Tutti frutti, oh Rudy
Tutti frutti, oh Rudy
Tutti frutti, oh Rudy
Tutti frutti, oh Rudy
A whop bop-a-lu a whop bam boo

Got a girl named Sue, she knows just what to do
Got a girl named Sue, she knows just what to do
She rock to the east, she rocks to the west
But she's the girl that I know best
http://www.6lyrics.com/music/little_richard/lyrics/tutti_frutti4.aspx

Tutti fruttiはアイス・クリームの一種。ここでは引用しなかった後の方のヴァースにはけっこう意味深でエロティックな内容も歌われているのだが、” Tutti frutti, oh Rudy”という反復される〈音の連なり〉の(俺にとっては)舌を噛みそうな、何ともいえない面白さこそがこの歌詞の魅力であるといえる。
ロック (講談社現代新書 (776))

ロック (講談社現代新書 (776))

さらに、コクトー・ツィンズのような歌詞の公表を一切拒否しているバンドの存在はどう考えるべきか。


また、〈音の連なり〉の面白さや美しさというのは、(歌詞も含む)詩的表現においては、意味は勿論、文法よりも優先されることがありうるということは言及しておく。ブライアン・イーノの歌詞とそれに対するコメント、そしてラッセル・ミルズのイラストから構成されたMore Dark Than Sharkという素敵な本があるが、このタイトルを見て、more darkじゃなくてdarkerだろうという人もきっといるだろうけど、ここでは文法的慣習よりもdark→sharkという〈音の連なり〉の方が優先されているわけだ。

More Dark Than Shark

More Dark Than Shark


See also eg. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081216/1229430768 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070503/1178193559
また、歌詞がわからなければボブ・ディランはやはり面白くないよねという大貫妙子さんの話;


http://www.recomints.com/magazine/event_webmagazine_mintsbar.html(See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071017/1192645098

*1:http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfa.livedoor.biz/archives/51515915.html

*2:この言葉は嫌い。

*3:書き言葉としての歌詞(歌詞カード)と実際に歌われている歌詞にはズレがあるのは屡々だが。

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081218/1229612955