言語と死者

最近「死者」とその「痕跡」について無駄口を叩いたのだった*1
さて、


田島正樹*2「言語の起源」http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52076332.html


前半は「進化論」を功利主義的に還元することへの批判。曰く、「ある機能の定向的進化は、それ自体一定の意味があるわけでもなく、定まった有用性があるわけでもなく、たまたまその時々にまったく思いもかけぬ意味と効用を環境から割り当てられるにすぎない」。また、「自然は、企業家よりも芸術家に近いかもしれない」。
後半はいよいよ言語の起源について;


恐らくは、次第に複雑化する音韻の戯れ(一種の歌)が性的選択淘汰によって発展した。当時のある種の原人たちにとって、ますます複雑化する音韻を歌うことが、性的魅力と感じられたのである。その結果、咽喉の伸長という差別化が生じた。チンパンジーの祖先と違って人間の祖先では、喉笛の長さとそれによって発声可能になる音韻の多様性に、顕著な違いが生じた。これは、言語発声のための生物学的必要条件を用意する。
 しかしもちろん、それは言語の発生のための十分な条件ではない。何千年か何万年かの長きにわたって、彼らの「歌」はますます複雑化していったし、それに対する感受性もそれに伴って進化したはずである。重要なのは、これもまた生存にとって格別価値ある機能とは言えないこと、いわば自然の許した贅沢の一つでしかなかったことである。
 やがてその中に、他の模倣を許さないような歌の歌い手(天才)が生じたかもしれない。彼が亡くなった後、誰かがたまたまその歌を模倣することに成功したとしたら、聴衆には、あたかも死者が歌ったかのような印象を与えることになったであろう。それはさながら最初の魔術のような驚きや恐れと感じられたはずだ。これが、死者を表現するシニフィアンである。つまり、死者の名として最初の言語が生まれた。私の考えでは、最初の言葉は感嘆詞でも普通名詞でもさまざまの述語表現でもなく、固有名詞であったろうというものである。
 重要なことは、1)言葉は実用性とは無関係のところからうまれた、2)言葉は、それなくしては現前させることのできない死者の名として生まれた、即ち、言語を現物で置き換えることができない不在の対象を表現するものとして生まれた、3)言葉は万人にたやすくアクセスできるものではなく、秘教的なものとして出現した、などである。
まあこの論に対する是非を云々することは差し控えるべきだろう。(ことの性質上)ほんとうのところは誰にも〈わかり得ない〉ことであり、そもそも科学としての言語学はこうした問いを敬して遠ざけることにおいて存立する。ただ、「言葉は、それなくしては現前させることのできない死者の名として生まれた」というのは鋭いと思う。たしかハロルド・ブルームが指摘していたと思うけれど、meaning(意味)は語源的にmoan(死者を悼んで呻く)に遡ることができる*3。また、「最初の言葉は感嘆詞でも普通名詞でもさまざまの述語表現でもなく、固有名詞であったろう」というが、これには「固有名詞」とは何かという議論が必要になってくる気もする。「不在」を呼び出し、「現前」させること。そういえば、昔「言語は本源的には主格でも目的格でもなく、(既に英語などでは格としては消えている)呼格(vocative case)としてあるのではないかとぼんやりと考えていた」*4。そういえば、ローリー・アンダーソン*5に“Langue d’amour”という曲があったな。ここで彼女のいうlangueは言語であるともに舌でもある*6
Mister Heartbreak

Mister Heartbreak

コメント欄にて田島氏曰く、

(前略)ネアンデルタール人が言語を持たなかったと推定するのはなぜか?もちろん証拠があるわけではありませんが、最初期の言語(神の名)を手にした(または口にした)原人類は、そうでなかった同類たちに対して、極端に差別的・敵対的・攻撃的な態度をとったに違ひありません。それゆゑ彼らは、同時期に生活してゐただらう平和的なネアンデルタール人を、短期間で攻め滅ぼしてしまったに違ひありません。言語とともに恐ろしい幻想に取りつかれた原始人類たちがたまたまどの種であれ、他の同類たちと平和共存する可能性はなかったのです。
ネアンデルタール人ホモ・サピエンスとの共存(対立?)は数万年続き、相互の混血も進んでおり、最近ヨーロッパ人や亜細亜人のDNAの1〜4%はネアンデルタールに由来することも実証されている*7